ドラマ「鈴木先生」に感動、アメメの眼(^_^;) 2015-05-29 [好きな言葉や拙見]
アメメの眼が^^;
死んじゃったのかとびっくりしました。
半目?
水車に巻き込まれて地面に叩きつけられて盲になった、ぼくが十一歳のとき亡くなった曾祖母がこんな眼をしていました。目を開けているのに見えていない。
寝惚けているだけ?
何回か呼びかけると、むっくり起き上がりました。
やっぱり寝惚けていたのでした。
昨日、蕨の密林に分け入って蕨狩り。
灰汁抜きして冷やしたのをポン酢で食べるのが暑いときはサイコウ。
四季生り苺が11個も(^_^)
虫に食べられる実もいくつか。
赤くなりかけると虫との駆け引き、競争です。
ドラマ「鈴木先生」を最終回まで視聴。
鈴木先生のできちゃった婚を裁くクラス裁判シーンに痺れた。
身近な人の道徳や生き方について正しいかどうかを討論させるという、掟破りの手法が見事。答えの出ない議題について、各自の異なる意見を尊重しながら、答えを模索する生徒たちの台詞のひとつひとつが現代社会を映し出していた。
二年A組の生徒たちは、数々の事件や人間関係から確実に学び、成長していた。眩しかった。
大人社会の常識(と云う名の偏見)が本当に正しいのかどうかを自分の頭で考える大切さ。
一つの価値観に縛られて他者を非難することの恐ろしさ。(そのカリカチュアとしての足子先生(富田靖子の名演)が壊れてしまって胸が痛んだが)
「付けない主義」の鈴木先生の一歩も逃げない恰好良さ。
教師が本気で生徒と向き合うとこういう世界になる、あの感覚を思い出した。教育や社会が、事情を抱えて目立った問題を起こす「腐ったミカン」の相手をしてきた間に、手のかからない普通の行儀良い生徒たちがどんなに我慢を重ね摩耗してきたことか。その子たちに応える教育・社会、若かりし頃決意したぼくの目指す教育を、鈴木先生は実にスマートに演じる。クールだけれど冷たくはない、温かいけれど決して熱くはない彼のすごいところは、(以下、彼の台詞から)クラスの潜在能力を上げて、誰一人摩耗しないクラスをつくる、その結果、生徒同士の助け合いの心が活性化し、学校がより深い学びの場になるところまでをも目指していたこと。共感と些かの悔い。そして、ぼくも全10回を通じて成長することが出来た。
後半、特に最終回では自分の考えが揺さぶられた。
完璧な脚本、素晴らしいキャスト。
性の話が多すぎて見る人を選ぶが、傑作。
「偏差値60の生徒のための金八」という作品評に納得。
[雨合羽と長靴で登校したヒヨコのような小川蘇美(土屋太鳳、今は「まれ」]
妄想の小川蘇美(土屋太鳳)が途中から現れなくなったのが、理由はわかるけれども残念(^_^;)
次は映画「鈴木先生」を見なくては。「純と愛」の愛くんも出演(^_^)
泰平の眠りを覚まされて不機嫌な顔のアメメくん。
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