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アメメ11歳に(=^ω^=)、米軍による東京大空襲犠牲者を悼み「言いたい放題」 2016-03-10 [好きな言葉や拙見]

アメメが11回目の誕生日を迎えことが出来ました\(=^ω^=)/ 
 
DSCF1486.jpg 
 アメメが上がり框から睥睨しながら、 
 
去年は誕生日前に食べられない日が続いておったので、
10歳を迎えることが出来たときは家中で喜んだものじゃ。
あのときは、一年後の今日を迎えられようとは夢にも思わなんだ。
猫の11歳は、人間で云うと還暦に当たる齢じゃ。
ojiojiが58歳、と云うことは、今日から俺様が最長老か。
おい、ojioji、祝いの品はどうした(=ΦωΦ=)
 
アメメ070728.jpg 
 [2007.7.28 アメメ最古^^;の写真 自宅マンションにて]
 
アメメとの初めての出会いは2007年1月9日、ペットショップの2階。
ヒトではない哺乳類の生き物と暮らしたくなって、フェレットが第一候補、
あとはハムスターやモルモットなどを考えて近所のペットショップに出かけた。
実際の生き物たちを見ると、子どもの頃いつもそばにいた犬と猫に惹かれてしまった。
ペット飼育不可のマンションの4階のため、犬を飼うのは無理。
猫だったらこっそり室内飼いできる。
そう思うと、その日から猫と暮らしたくてたまらなくなった。

ケージで子猫たちが何匹もミーミー、ニャーニャー鳴いていたけれど、
気になったのは2匹の大人猫。
ノルウェージャン・フォレストキャットのCappuccinoカプチーノ(当時1歳7箇月)と、アメリカン・ショートヘアのマメスケ(当時1歳10箇月)。
綺麗な成猫たち。
こんなに大きくなるまでケージのなかだけで暮らしていたのかと思うと可哀想に思えて、それぞれのケージの前を行ったり来たり、何十分も思案。
買うなら(飼うなら)子猫からだろうと思いつつ、
この2匹から離れられない。 

おとなしくて優雅なノルウェージャン、
アーモンド形の深い色の眼でぼくを縋るように見上げる。
 
一方、キャンキャン吠える犬の傍で、
仏頂面して眼光鋭く虚空を睨むアメショー。
 
2匹とも気になりながら、このときは、
向こうからもぼくに関心を示してくれたカプチーノに決めた。
それが今のノルくん。 
 ノルとアメメ.jpg
[2007.7.28 アメメとノルくん 自宅のケージにて]  
 
ノルくんと暮らし始めてからのドタバタの日々、
あの仏頂面のアメショーのことが気懸かり。

アクアリウム用品目当てで、ときどきこのペットショップを訪れる度に、
2階の動物コーナーを覗くと、
あのアメショーが所在なげに尻尾だけ動かして虚空を睨んでいる。
 
販売価格もどんどん下げられていた。
ショップのお姉さんたちから「アメメちゃん」と呼ばれていることも知った。
アメショーのマメスケでアメメか。
この呼称も気に入った。

お客さんたちは、行く度に入れ替わっている子猫たちが陳列されているケージの前ばかりに集まっている。
アメメの相手をするのはぼくだけみたいだ。
ケージ越しに指で触ってやるようになっていた。
 
そして、出会いから半年後の2007年7月10日、
アメメに新しい世界を見せてやりたくて、衝動的に買った。
 
ショップでシャンプーしてもらって青いスカーフを首に結んでもらったアメメが
数時間後に自宅に届けられた。
以来、今日まで一緒。

アメメが他の猫たちと上手く付き合えないのは、
幼くして母猫から離され、2歳4箇月までペットショップのケージ暮らし、
しかもすぐ傍に吠えまくる犬がいるという不自然な環境だったからだと思う。
 
ヒトと付き合うよりも、動物と仲好く過ごしたいぼくと似たもの同士。
本当は同居猫のいない家で飼われるほうがアメメには快適だったと思うけれど、
わが家で後悔はさせないつもり。 
 
世界は人間無しで始まったし、人間無しで終わるだろう(レヴィ・ストロース)
 
 DSCF8224.jpg DSCF8223.jpg
 [2015年6月のアメメ]
 
幼くして母猫から引き離されて、ペットショップの吠えまくる犬たちの傍のケージで過ごした二年間あまり、アメメの難聴はこの間に発症、進行した感音性難聴であると考えられる。

あるいは、アメメが生まれつき耳が聞こえなくて、それを知っていたペットショップが、だから、犬の吠えまくる隣にアメメのケージを置いていた可能性も考えられる。確かに、いくら犬の鳴き声がうるさくても、耳が聞こえなければ虐待とは言えない。

何れにせよ、そのお蔭でぼくはアメメに出会え、五十代をアメメと一緒に暮らせているわけだ。「ペットフリーク」に感謝。

耳の遠いアメメは他の猫たちと上手く付き合えない。
耳の遠いぼくも他の人たちと上手く付き合えません。
似たもの同士、時が満ちて天に帰るその日まで、一緒に暮らそう。

盲は人と物とを遮断する、聾は人と人とを遮断する(イマヌエル・カント)
 
 [最長老になった今朝のアメメ 後半身の衰えは隠せません]
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難聴と云うと(再掲)めっきり耳が遠くなりました。
子供の頃は耳鼻科通いの日々で、中耳炎を何度かやり、中1か小6のとき左耳の中耳炎を放置^^;して慢性化させて難聴に。
右耳は健常だったのですが、五十前の或る日、突然聴こえにくくなりました。突発性難聴。自己治療はストレスを減らすこと。実際、聴力が少し良くなったり元に戻ったりを繰り返しながら、しかし、確実に低下。
不便なのは、教室の生徒たちの声は聞こえても喋っている内容が聞き取れなくなったこと。交響曲のひとつひとつの楽器の音が聞き分けられないのに似て、音声が混じるというか埋もれてしまいます。私語なのか話し掛けているのかわかりません。
隠退した理由のひとつです。

耳の遠い仲間にアメメくんがいます。
京都時代、アメメと遊んでいた方が、耳が聞こえてないのではと指摘してくれました。ぼくは全然気づいてなくて、聞こえているのに無視するふてぶてしいやつだと思っていました。掃除機を傍でかけても、全く動じません(^_^;)。音に反応しないで、後ろからポンと叩くと、唸って飛び上がります。

難聴には、音自体が小さな音量になってしまう伝音性難聴と、聴こえくい周波数帯などのため意識を集中しないと音が雑音化してしまう感音性難聴とがあって、アメメやぼくの左耳は伝音性難聴で、ぼくの右耳は感音性難聴の傾向が強いと思われます。
老人の難聴は感音性難聴が多いそうです。
伝音性難聴がひどいと障害者認定となり、感音性難聴は障害者認定とはならない場合が多いもよう。

ちなみに、嘘つき呼ばわりされていた佐村河内守氏も感音性難聴とのことで、身体障害者手帳については不正取得なのかもしれませんが、マスコミを始め詐欺師呼ばわりした人々が感音性難聴についてどの程度理解していたのかは疑問です。
 
記者会見で、佐村河内氏が手話通訳の途中で質問に答え始めると「まだ手話通訳が終わってませんよ?」と化けの皮を剥いだかのように笑った記者、お前は何様ですか。

感音性難聴の場合、音と遮断されているわけではなく、わかる部分がまだら状態なので、話し手に意識を集中して何とかわかろうと努力しているのに。
 
佐村河内氏騒動の映画がつくられているそうなので、難聴についての理解が深まることを期待しています。(ドキュメンタリー映画「FAKE」 6月4日公開決定) 

耳が遠くなったお蔭で、嫌なことは聞かないで済み、心穏やかな日が送れます。
まさに天の配剤です。
しかし、まだ目が確かなので、世の中の瑕疵に心乱れるのが残念。
 
[去年の3月10日のアメメとちゃとらん、ふーちゃん] 
 DSCF5654.jpg
 
昭和二十年三月十日はアメリカ軍による東京大空襲のいちばん激しかった日。
死者8万3793人、他にも行方不明者多数、実数10万人超と言われている。
単独の空襲による犠牲者数としては世界史上類を見ない、まさに未曾有。
アメリカ軍によるこの無差別大量殺戮で亡くなった方々の無念や如何に。
 
御魂よ、安らかに鎮まり給え、祟り給へ


付録 
ojiojiの言いたい放題(=^ω^=)
いろいろなところに書き込んだコメント集

亀こそ濾過装置が必須と思います。
実際の飼育では、多くの家庭で逆になっていて、金魚やテトラやメダカ類たちの、底砂や水の微生物でアンモニア分解サイクルをつくれる(実際、足し水だけで熱帯魚の水槽を3年以上維持していました)飼育に高価な濾過装置を投入し、ほんとに水を汚す亀さんは糞と残餌で汚れた水のまま「亀は臭い」と嫌な顔をする、これも人間の身勝手のように思います。巨大濾過装置を付ければ、透き通った水で亀さんも大喜び(^_^)
飼育亀の多くは、ゴキブリや蛆、あるいはかつての被差別部落居住者と同様に、謂れ無き差別を受けていると思います。ささやかな抵抗が、サルモネラ保菌でしょう(^o^)


川に放したり、またつかまえたり、亀にかぎらず、そうやって自然と共に暮らせば良いと思っています。在来種だの外来種だの阿呆ちゃうかと。
海の魚を見よ、国境なんて何もありません、檀流もとい暖流(Google変換おかしい、これが一発で出ない、愛読書「檀流クッキング」のせいかなあ^^;)と韓流もとい寒流(三発目で変換、完全に使用者のせいでした^^;、神話の国にして竹島の地元c***p***さまの日本語変換でもこの単語は同様でしょう(^o^))の潮の目が国境で、大小種々の魚の紛争が起きています。それを人間様が勝手に、外来種なんたら禁止法とか、ほんとにもう上から目線、どんだけ偉いんじゃ、象牙の塔(死語)や霞ヶ関の人たちは、世間知らず・自然知らず・オカネと仲好しなだけじゃあないか。と朝からハイテンションです、ちゃとらんとふーちゃんが四時頃から障子の穴くぐりサーカスを繰り返して、ぼくもアメメも安眠妨害。(自分にもよくわからんコメントですが、エイッ、貼っちゃえ)


神にせよ仏にせよ、永久の象徴としての常緑樹の葉、というのが原点なので、杉だろうが松だろうが、地元で調達できる常緑樹を使えば、神様も仏様も喜ばれることでしょう。実際、寒い地方では、榊も姫榊も樒も生えていないので、杉を使うところもあるようです。 


「ぼさぼさの長髪に、よれよれのジーパン、手編みっぽいやたら分厚い白いセーターの上から、ドテラみたいな綿入り絆纏」と私のことを書かないでください^_^;。サークルも不登校も運動も勉強もアルバイトも結婚も中退も順番めちゃくちゃでやっちゃった時代。愛しくて懐かしいけれど消し去ってしまいたい時代、甦らせたくなかった。


モットーは「気にしたら負け」です(^_^;)
それで、塾の現金を入れた抽斗に鍵をかけていなかったら、或る日生徒の納めた月謝袋が無くなりました(涙)。鍵をかけるようになりました。とても悲しかったです。こうして今の現代日本型というかアメリカ型システムが進行するのでしょうね。弥次郎兵衛喜多八の時代が懐かしい、嗚呼、明治維新が憎い。


菜っ葉、懐かしい呼び方。
これからはぼくも菜っ葉という言葉を使うことにします(^_^)
菜の花、アブラナ科アブラナ属のものを呼ぶのですね。検索すると、カラシナ、キョウナ、ケール、カリフラワー、キャベツ、芽キャベツ、ブロッコリー、カイラン、ミズナ、カブ、ノザワナ、コマツナ、ハクサイ、チンゲンサイ、アジミナ、要するに菜っ葉の花が咲く直前は全部菜の花として美味しく食べられるということ。大根の白い花も「白い菜の花」。確かに、大根の菜の花も食べます。


地球温暖化防止とやらの、前世紀末から今世紀初めのアメリカの悪の遣いゴアに端を発する、先進国の官民一体となった、ヒステリックで非科学的な呼びかけにうんざりしたのと同じ、私の感情的な反発が大きいのです。所詮は、金儲けとか経済の話に行ってしまいます。
以前記事http://ojima537-21.blog.so-net.ne.jp/2014-06-15にしたのですが、再掲お許しを。読者数の少ない頃でしたので。
懐かしの京都議定書を採択した1997年12月国立京都国際会館で開かれた第三回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)に出席した各国の代表が帰国した後のホテルの各部屋で、エアコンなどのスイッチが切られていなかった割合が一般観光客と変わりなかったとの報告を、かつて京都大学大学院エネルギー科学研究科教授をされていた笠原先生の文章で読みました。地球温暖化がどうのこうのと議論している、環境に対する意識が一般の人より高いはずの各国代表学者たちの日々の暮らしは、そんなものなのです。
もっと呆れるのは、「不都合な真実」という大嘘映画でノーベル平和賞を受賞したアル・ゴア元アメリカ副大統領がプール付きの大邸宅で電力消費しまくりの暮らしをしていた話とか、その彼が、ノーベル平和賞受賞で良い人と勘違いされるようになってからは、うまいことベンチャーキャピタルの二酸化炭素取引市場や太陽光発電、電気自動車、(いまいちよくわからん概念ですが)スマートグリッドなどの環境市場への出資を行い、資産が以前の120万ポンドから6000万ポンドとなって、世界初の環境長者になったと報道される始末。
あるいはこの記事http://ojima537-21.blog.so-net.ne.jp/2014-07-28に記した思いと通じるでしょうか。


生き物たちも、ヒトが破壊した自然環境のなかで生き延びるために必死で^^;交雑・混血しながら適応できるように変異しているのに、それを交わるな!などと。ベッキーちゃんや室伏広治さんに、お前らは交雑じゃ、けしからん!とか言うのか。お前(生物多様性保全とかを生き物への愛情もなくほざいている人のこと)は親の交わりから生まれたんじゃあないのかと言いたい。
メダカやカダヤシやアカヒレが日本の小川で混泳している日を夢見て(=^ω^=)


三月十日の東京大空襲を指揮した「皆殺しの」ルメイ(第20空軍隷下の第21爆撃集団司令官)、「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」「軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものなのだ」という彼の数々の発言からわかるように、立派な軍人だったのは間違いないのでしょうが、この無差別大量殺戮の遂行者に、1964年東京オリンピックの後で勲一等旭日大綬章を授けた佐藤内閣、「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば、過去は過去として、功に報いるのが当然。大国の民とは、いつまでもとらわれず今後の関係、功績を考えて処置していくべきもの」という佐藤栄作総理の発言、うーん、実に日本的です。この文化は他の国にはわからないでしょうね。朝鮮半島の国々も、この「あっさり」した文化に学べば幸せになれるのになあ。(「あっさり」という日本精神を「あさり」という台湾語として取り入れた台湾の本省人の方たちに親しみを感じます。)ただ、日本は、私も困惑するときがあるくらいあっさりし過ぎているような(^_^;) 
 

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青年A酒鬼薔薇聖斗とパンタ・レイ、「言いたい放題」は貧農史観批判 2016-02-20 [好きな言葉や拙見]

青年時代のノルくんとアメメ  2007年8月22日撮影
ノルとアメメ本棚070822.jpg
懐かしいツーショット、どちらも二歳。
京都時代、ケータイの待ち受け画面にしていました。

当時、塾の掲示物で「欲を夢に昇華し、その夢を実現しよう」などと呼びかけた過ちを反省して、後に塾の送迎バスに「STOP DREEMING(素で間違えてました、ヤバいです、tommorow、tomorrow^^;)DREAMING!」と大書して走らせた(^^;)懐かしいあの頃。(アメリカ大統領選挙においてロン・ポール氏も唱えていた。ちなみにぼくは彼が大好き)

ところが時代はSTOP DREEMING DREAMING!どころか、私欲を夢と呼びその実現を讚える私欲満開社会がさらに進み、その住人から選ばれた議員たちの私欲ゆえの醜態が続く昨今、わが家では、朝飯の準備中に箸が見当たらなくなって、ノルくんが転げ落としたのかと疑って悪態をつきながらウロウロ捜し回り、自分の口に咥えていた箸に気づいて愕然。脳猫化症が重症化。

脳と云えば、先週の金曜日のこと、台所の目の高さの収納戸棚の半開きの戸に額を直撃。脳内に火花、視界は真っ暗、額を押さえたまま床に蹲って、何の責任も無いノルくんに当たるわけにもゆかず、自分の間抜け加減を呪詛しながら、痛みが治まるのを待って立ち上がると、床に何やらポタポタと滴るものが。右手も血塗れ。鏡を見ると額の割れた大木金太郎の趣き。キッチンタオルを何枚も使って止血、もったいない。キッチンタオルを折り畳んでガムテープで留めて治療完了。

脳が揺さぶられたのか、数日間、気持ちがわるく歩くと頭がふらつく。頭蓋骨内で血腫が膨らんでいるのか、などと良からぬ心配をしたのは「科捜研の女」の見過ぎ。だって、被害者が凶器で殴られたり階段から落とされてから暫く歩いて移動した後で死亡したために、犯行現場がわからないケースを何回も見たから。先日も根岸季衣さんの死体発見現場が犯行現場とかけ離れていたために、土門刑事と主任研究員沢口靖子(榊マリコ)さまがつきとめるのに時間かかったし。

結論:日常動作はいちいち意識して行い、確認を怠らないことにする。


ojiojiの言いたい放題(=^ω^=)  書き込んだコメント集

確かにヒトがいちばん根性無しの気がします。猫や野生動物はじーっとひたすら静養して自己治癒力を働かせ、治らないときは騒がずにひっそりと死を迎える、何と自然なことでしょう。独居老人の死がそれに近いかも知れません。出来れば、洞穴とかに自ら入って逝くとか(=^ω^=)


かつてリストラされる前後に、経営者による強者・権力者の立場からの一方的な情報を流されて名誉を貶められ、文書(社員規約)改ざんによる陰謀で経済的にも大きな不利益を被ったもので、一歯車の意見が日の目を見ない恐ろしさのほうが強いもので、爾来、思ったことは言うようにしております。


昔は「新聞に載るぞ」とか言って戒めにしていました。
今は「ネットで広がるぞ」でしょうか。
世間体を気にする日本社会では、人の目は大きな抑止力になると思います。
私みたいな厚顔無恥な人間やアメリカ社会は、人の目が平気のために抑止効果は無いでしょうが^^;、代わりに厳罰に処せば良いだけ、だから懲役合計七百年とかやっているわけか。
今回の新聞記事から、戦後教育が当時の人たちにとってどうであったかがわかりました。現代の書物では、筆者の思想で料理されすぎていて、当時の実態が伝わりません。戦後教育の良い面もあれば良いものを捨て去った欠陥の面もあり、そういう諸々を、実際に生きてきた一人ひとりが自分で感じ考えて表現してほしいものです。マスコミ業界の人たちの感性に流されないで、むしろそれを哀れんだり唾棄したりすれば良いのです(^o^)。
テレビニュースは元々見ず、新聞購読をやめて二年近くになりますが、困ったことは何もありません、情報はネットで知ることができるし、詳しく知りたいことだけ自分で選択できます。なのに、新聞の価格カルテルがあり、放送局は法律で守られ、NHKにいたってはネット環境にまで課金することを検討しているとか。衰退してゆく定めのメディアの足掻きは見ちゃあいられません。商売は使命を終えたらさっさとたためばよいのです。それか手弁当のボランティアで運営するとか。新聞とかそうしてでも発行した人たちがいたじゃあないか。
但し、新聞紙はノルくんの頻尿トイレに必要です、朝日新聞(特定の新聞社のことではありません、大手マスコミの空理空論・空虚・暗黒・恥部を表す比喩表現から普通名詞に移行した言葉です。追記:ゆえに今の朝日新聞がどのような紙面かは一切関知しません、前世紀はずいぶん煮え湯を飲まされました、お前は豊葦原瑞穂国を荒らすのが社命なのかと)の見栄で刷っている膨大な押し紙を只で分けてください。
いかん、こんなことを書いていると「マッサン」の録画がたまる一方です、エリーが逮捕されそうになった週でストップしています。


>自由だとか個性だとかいって、
>勉強しなくてもいいような雰囲気を作ってしまった。
現場の先生方はよくご存じですが、勉強しない子たちはとことんしない。やる子たちは昔よりも高度な内容をどんどん進む。「ゆとり教育」とやらの総括でよく聞くエリート層は、自分の子ども時代を思えば別世界の勉強家たちです、人格的な面はさて置き。筆者が憂えているのは、そうでない層の子どもたちでしょうが、ぼくはもう手遅れかと。ヤンママの世代で既にそうなので^^;。良いわるいではなくて、もうそういう社会になったんだなあと思うことにしています。ささやかな抵抗で、自分のブログではわざと漢字を多用するようにしておりますが(^_^;)。


教育漢字や常用漢字を決めたのはよいのですが、学校教育や新聞紙面において、その枠内に縛られて「語い」「範ちゅう」「破たん」「完ぺき」などという巫山戯た表記の時代が長すぎた感。書くほうは、昔の人も字引きをひいたり誤字を書いたりが通常の習わし、やくみつるさんみたいに難しい字を空で書ける必要はないかと思います。問題は、語彙力に通じる読むほうの力、これはやはり出版物で戦前のように豊富な日本語の語彙をじゃんじゃん多用、但しルビ付き、を実践するのが近道と思います。実際、読書好きの人たちの語彙力は何も心配無しですものね。
と書きながら、いや、既に少ない語彙と新しい語彙だけでやりとりする社会になってしまったのかなあと寂しくも感じてもおります。それはきっと豊穣な言葉の世界、ひいては心の世界を捨てることになり、とてももったいない気がします。


「野生の王国」の弱肉強食のかわいそうな場面、同感なのですが、去年から困っているのは、野菜や植物に同じような感情が湧いて、間引き菜や芽かきが心を鬼にしないと出来ないのです。取り除いたものは必ず食べてやらないと申しわけ無い気持ちに。庭木の剪定すら出来なくて。と言っても自分で手を下すのが辛いだけなのですが。結局、造園屋さんに頼みました(^^;)。そのくせ収穫物としてなら平気。日頃、スライス肉を買って常食しながら屠殺作業を残酷とか言う人に、そうじゃあないだろうとか言うくせに、自分も同じ。矛盾しております。それが慈悲心なのでしょうか。ベジタリアンやヴィーガンの気持ちも理解できます。が、つきつめると、よだかの星になるか、稀にいらっしゃいますが霞を食って死ぬしかなくなりますものね。などと、こんな齢になって胸を痛めるとは思いませんでした。


人権あるいは社会の進化みたいな思想について、見直さなくてはと思う人が増えていると思います。私なんて中学の授業で、王様とかの支配者とは民衆を弾圧するもので、それに抗する心ある人々が権利の拡大をしてきたんだと、組合の仕事で自習の多い日教組の先生^_^;から教わりました。(良い王さまもいるのになあ)
江戸時代の農民は五公五民とか四公六民で、自分たちのつくった米が食べられずに稗や粟を食べていたと習ったのは日本史の先生から。
農家育ちなので、変な気がしました。大阪に住んでいたサラリーマンの叔父のほうが、通勤や激務で余程ストレスが多そうなのになあ、帰宅後は疲れて麦酒飲んでプロ野球ニュース見て寝ているだけだし。給料のためにそんな不自然な暮らしをして幸せなんかなあと。
江戸時代の農民は、今の自営業者と同じで、脱税・節税を(米の隠匿)をしまくり、年貢のかからない作物を蓄え、隠田・隠畑を開墾し、などといくらでも工夫をしていただろうし、何より農作業は自然の中でお日さまを浴びて気持ちが好い(^_^)。
こんな話も読んだことがあります、津軽の農民が凶作で金貨を握って飢え死んだと。貯蔵米をカネに目が眩んで売り払った直後の冷害だったみたいです。本来なら自給自足出来るのに、貨幣経済に飲み込まれて翻弄される。今の農家も似ています。
あるいは「百姓と胡麻の油はしぼれるだけしぼる」みたいな言葉も、農民の脱税を前提に、まだまだ税を捕捉できるぞという話であって、今と同じですね、源泉徴収の人たちが、自営業はずるいと逆恨みする^^;構図。ちなみに今も、高額所得者は五公五民ですよね、だから大リーグとやらに出稼ぎに行ったり。すんません、何の話かわからなくなりました。
この貧困農民史観(貧農史観)と同じように、人権思想とやらにも嘘がかなり含まれているように感じます。あるいは、人権思想とやらと人非人(凶悪犯罪者)を獄門磔にするのとは何ら矛盾はしないと思います。
ハンムラビ法典万歳\(=^ω^=)/です。 
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[左)2009年10月9日御年四歳のアメメ  右)現在のアメメ]

アメメ 「ojiojiもけっこう真面目に世の中を考えていたものよ。それが一年後には、咥えている箸を探して彷徨いているとは笑止(=^ω^=)」
 
万物流転、動的平衡、祇園精舎の鐘の声、諸行無常、昨日の淵ぞ今日は瀬になる、方丈記、無為自然、パンタ・レイ、ヘラクレイトスも老視もとい老子も福岡伸一なのじゃ!

パンタ・レイと云えば、 
少年A酒鬼薔薇聖斗.jpeg  青年A酒鬼薔薇聖斗.jpeg
少年A酒鬼薔薇聖斗   ⇒  青年A酒鬼薔薇聖斗[写真は週刊文春より]
 
週刊文春ことセンテンススプリングさま、マズイ場合はご指摘ください、即、削除します。ニューウェイブ週刊新潮もS君、応援しておりますぞ。 

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中島丈博先生讃、ふーちゃん画伯の憂鬱 2016-01-28 [好きな言葉や拙見]

厳寒のあとは長雨で、籠城続きの日々。
こんな日は、ふーちゃん画伯の襖絵鑑賞を。
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作品を前に得意然とした画伯。
 
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勉強に来た少年に関心を示す画伯。
向学心が芽生えたかと思ったら、
シャーペンの動きに気を取られただけみたい。
ふーちゃん画伯はこの頃、アメメやちゃとらんの残飯を漁って、体型がニッキー家のアルさん化してきております。

襖絵鑑賞のあとは、ojiojiの真冬の料理教室。
こんな日は、冷凍庫に眠っていた夏のトマトを料理しよう(^^;)
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と思って昨日からキッチンに出していたのですが、丸一日経っても凍みたまま。
玉葱、馬鈴薯、人参、水煮大豆と、
肉が尽きたので冷凍ハンバーグを入れた煮込み。
味付けは塩、胡椒、大蒜だけ。
Simple is Best(^^)v


前回記事で拙者の誕生日に祝いのお言葉の数々、感激です(*^^*)
こんなにいろいろな方からお言葉をいただけるなんてネットやブログのお陰です。
実生活では「別れても好きな人」^^;からメールが届いただけで、家族からは皆無、たぶん誕生日すら忘れていることでしょう。そもそもぼく自身、ある方のブログの誕生日の話題を見て自分のを思い出して、タイトルに書き加えたくらい。と云うことで、墓場にまた一歩近づきました(^O^)

ところで、前回記事のコメントに書かれていた500万円云々の意味がわからず暫し思案、まさかぼくの隠し資産の存在にゆうのすけさまが辿り着いたのか、農協のかなあ中国銀行のかなあ津山信用金庫のかなあソニー銀行のかなあ今は亡き日債銀のかなあリース代支払い口座だけの京都中央信用金庫のかなああっ忘れていた郵貯のかなあ、いや、確証が無いからカマをかけたに違いないなどと朝から疑心暗鬼、冷静になってGoogleで検索して検討(^^;)した結果、甘粕大尉もとい甘利大臣秘書が口利きお礼つまり賄賂の500万円を右翼団体元構成員から受け取ったこと並びに大臣自身が50万円を直接受け取り隠し録音ならびに隠し撮りされていたという事案(詳細は報道に任せます)に辿り着きました。世間に疎くて、初めて知りました。URってゴネたり強請ったらお金くれるんでしょうかね。安部首相は真相が明らかになる前から甘利経済再生担当相の続投を明言していたとのこと、安倍政権、ここまで増長していたとは驚きです。たとえ罠に嵌められていたのであろうとも、礼金つまり賄賂を受領しなければ良かっただけ。受領した以上は、粛々と事実を認めて法に従うのみでしょう。政治家による口利きや揉み消し、ぼくは京都の地方政治家N某の口利きによる交通違反の揉み消しや岡山の地方議員の口利きによる地方自治体の不正採用レベルしか寡聞にして知りませんが、斯様な破廉恥が今でも横行していることを知り反吐が出そうです。確定申告の大作業で納めた税金が回り回って甘利大臣(あるいはその秘書)の懐に入るのでは阿呆らしくてやってられないかと。看過するわけに行かない出来事に気づかせてくださりありがとうございます。 (以上、ある方^^;へのコメントを流用)

その後、大臣は辞任、後任に石原伸晃氏とのこと。甘利氏は本気でTPP交渉に取り組んでいたからこそ辞任したのでしょう。無念さを察しつつ、金かねカネ人間=拝金主義の限界かと。などとTPP自体に反対あるいは時期尚早との考えのぼくでした。

以上、岩崎宏美さん歌唱による「千の風になって」を聴きつつ。
 
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ふーちゃん画伯「そんなことより、新しいキャンバスは未だなの?」

ojioji「そんなことより、昼ドラ『新・牡丹と薔薇』が今日で最終回。録画を見る前にYahoo!のコメントを見てしまったら、時間を返せ!とか非難の嵐(^^;)。皆んな、昼ドラに何を求めているんだ(=^ω^=)。脚本の中島丈博先生は御年80歳、そのおそらく最後になるであろう作品を見られただけで感激だというのに。先生の半世紀を超える作品群「闇に浮かぶ白い肌」「昼下がりの情事 古都曼荼羅」「津軽じょんがら節」「団地妻昼下がりの情事」「四畳半襖の裏張りしのび肌」「赤ちょうちん」「祭りの準備」「トラック野郎故郷特急便」「五番町夕霧楼」「壬生義士伝」「刑事くん第三部」「凍河」「おかしな夫婦」「七人の刑事・市民の海」「家族ゲーム」「家族ゲーム2」「泣いてたまるか」「草燃える・大河ドラマ」「春の波涛・大河ドラマ」「炎立つ・大河ドラマ」「風のロンド」「放浪記」「失楽園」「元禄繚乱・大河ドラマ」「永遠の仔」「真珠夫人」「牡丹と薔薇」「偽りの花園」「麗わしき鬼」「雪之丞変化」「非婚同盟」「赤い糸の女」「天国の恋」…etc未だ見ぬ作品も多いが、ぼくの一押しは昼ドラ「さくら心中」(笛木優子・神保悟志)です。嗚呼、最終回の録画を見るのが怖い(^^;)」 
 

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シャム猫ぽこ様近影、「言いたい放題」は若かりし頃 2016-01-22 [好きな言葉や拙見]

実家のシャム猫ぽこ様の近影
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シャム猫ぽこ様は、老母がご近所の猫おばさまから貰った雑種猫ですが、
この毛並みとサファイアブルーの目は、タイの高貴な家系のみで飼うことを許されたシャム猫の再来に違いないと看破したぼくが勝手に付けた呼び方。
なのに、心無き鄙人たちからはタヌキなどと呼ばれております。
amaguri家のプリッツエル王子と生物学的には親戚の可能性大。
卵巣を取られ、わが子に先立たれた後は、童女に戻って悠々自適、
いっとき毒婦木嶋佳苗のような太り方をしていた時期があったのですが、
今は「科捜研の女」沢口靖子さま(無双無敵の永遠の美少女(^O^)の趣きに。 
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と褒めた途端に、オペラ歌手の中島啓江(けいこ)さんか森公美子さんに?


ojiojiの言いたい放題(=^ω^=)

畑正憲さん、高校時代に生物の先生から勧められた「われら動物みな兄弟」が最初の出会いで、今回書かれていたのと同じような思いを抱いた作家です。子どもの頃から生き物大好きの私は、畑正憲さんの本にすっかり夢中でした。テレビでの馴染みはないのですが、エッセイを通じて、とても近い人のような気がしていました。中学・高校と北杜夫が好きで、そこに割り込んだ畑正憲氏の、好きな生き方をしている世界は本当に魅力的。社会人になってから頭から消えていたのに、この記事でぶわーっと甦りました。
学生結婚したのとか完全に畑正憲氏に影響受けてます、失敗でしたが(^^;)
会社を馘首になるくらい経営者批判をしたり、自分で起業したり、たぶんに畑氏の生き方から、何でもありじゃというところを後押ししてもらってたのだなあと今思います。早めに隠退しての今の暮らしもそうです。
ところで、わが家のふーちゃんやみうめは、ゴミをよく食べています。外の世界を知らないから、廊下やじゅうたんの綿ごみや抜け毛などが草や昆虫の代わりなのでしょうか。


おっしゃるとおり「人生は偶然と必然」から成っていると私も思います。必然だけでもなければ、偶然だけで決まるわけでもなく。長年のガーデニングやアクアリウム(メダカや金魚から小型熱帯魚、鯰^^;、草魚...etc.)や昨春からの畑作やたぶん三千名ほどの子どもさんたちとその家庭と懇談してきた経験から言えるのは、
生き物の個体差はとても大きく、
同じ環境下でもさまざまな育ち方をし、
同じ目(過酷な自然や病原菌や教育...etc.)に遭っても真反対の生育をする個体たちが多々、と云うことです。
脱腸が壊死しても再生して生き抜く金魚とか、
たった一本の芽から復活する中国野菜カイラン、
一方では、至れり尽くせりの苗床で発芽後すぐに消える生命、
仕事上の悩み?で農薬を飲んで死んだ一流企業に勤めていた同級生、
資質と生育環境と、地球温暖化の要因と同様、複雑系によって人は形成されるのでしょう。だからこそ、どんな理由があっても犯した罪は償うべしと迷いなく思っております。世の凶悪犯罪がすべて、その覚悟の下で為された正当な復讐だけになればよいのにと思います。実際は、欲望(追記:や衝動)からの凶悪犯罪が大半、何も迷わず判決(厳罰!)をくだせるのになあと。


ロビンソン・クルーソーは小さいころの英雄であり、畑正憲氏には、「子供の頃好きだったことを大人になってからやれば幸せになれる」ということを彼の本から教わりました。「われら動物皆兄弟」の文庫本は40年前に買いましたが、今も書架にあります。数十年紐解いていませんが^^;。その二人について話題にできるなんて数十年振り、何て嬉しいことでしょう。


思っていたとおり、封印された甘美の世界を持たれていましたか。
ボリビアにカブトムシ・ゲリラも暗躍していたとは。
インドからの密輸の話、昆虫たちを思うと怒りの涙が。
齢なのですぐに感情が昂ぶります。
クワガタさん、三年も四年も生きるのですね、
てっきり半年から1年と思い込んでいました。
四年も世話されたクワガタを看取られてご立派です。
田舎だったので、カブトやクワガタは牛の糞や敷きワラの堆肥の山を掘ると、芋虫がごろごろ。カブトを猫と戦わせて、胴体を食われたカブトが頭だけになってからも半日動いていたり、罰当たりなことをしたものです。
ところで、ドウイロクワガタさんを愛せるのに、ゴキブリへの嫌悪、理解しかねます。私が齢とともに、あれ程好きだった女人の鮑を舐められなくなったようなものでしょうか。


1990年代の文科省の新学力観では子どもが主人公でその支援役が教師の役割と明記されているのですが、私は頑として抵抗して、貧しい子にも金持ちの子にも、文化的に恵まれた子にも文化度の低い家庭の子(これが現代日本のゆゆしき課題です、この数十年のテレビではなくてテレビ番組の罪や大なり!)にも、教育とは強制力を伴った訓練であるとの信念で接してきました、そうしなければ、昨今言われているように、家庭の財力によって子どもの学歴が決まるなどという社会になってしまうから。実際、今はそうなっています。そりゃあ親が帰宅して麦酒飲みながらくだらんテレビ番組を見て1年を終える家庭で育つ子と、そうでない家庭の子と、十数年経てば生物的資質が同じでも社会的生物としては天と地ほど違う生き物になります。未熟な子どもたちを鍛えずして迎合して、彼らの将来を無力化した文科省とその諮問機関の罪は大きいと思います。


初めての麦酒の味は、甘いソーダより美味しく感じました。
タバコは、実家が葉たばこ耕作農家(当時は専売品のため換金農産物としては優秀だったのです、そのくせ家族にタバコ吸いは誰もおらず、「タバコは大人になっても吸うな」と言われていました。このあたりが日本的で現代では批判されるでしょうね)だったため、乾燥葉を見様見真似で熟成させて葉巻もどきのものをつくって試してみたところ、日本専売公社のハイライトのような屑葉(実際、等級の低い葉が多くブレンドされていたそうです)の煙とは別世界の甘い煙にくらくらっと酔えました。その愚かさに気付いて煙を断ったのは四十過ぎ。自制的に生きて来たつもりなのに、こうして振り返ってみると、実は欲望のまま自分本位で生きてきたのだなあと気づきました。


一点突破主義で大局観に欠ける私(孫子とちがって全面展開とは行きません)は囲碁が出来ないのですが、親しみを感じます。コンピュータ囲碁について今、Wikipediaを読んだのですが、将棋とは事情がずいぶん異なるみたいですね。石自体に軽重がなくて置かれた場所や形により要石になったりカス石になったりするところや、理詰めとは違った感覚的な要素が大きいところ、盤面の広さなど、コンピュータが克服しなくてはならない課題が多そうです。囲碁のほうが、負けても傷つかないと言われる理由がわかる気がします。将棋に負けると、頭脳が劣っているのを突きつけられたようで、その悔しさと言ったら(^^;)。


昔、勤務していた学習塾がケーブルテレビで高校入試問題解説番組を担当していたときがありまして、なぜか私が社会科を担当、地理の解説で「山陰地方」と言うところを「裏日本」と言ってしまいNG、録り直しに。「裏日本」が放送禁止の差別用語でまずかったそうです。そんな馬鹿な。癪に障って、いつか、裏日本を使ってやるぞと決意。


モロボシダンがのくだりにクスっと。確かに、老母も樫山文枝さんのことをおはなはんと思い込んでいるフシがあります。能年玲奈さんあたりが今後微妙かも。ちなみにモロボシダンは漢字は無いのですね、Google変換に現れず。
耳に洗濯バサミのスポック、爆笑です。私のほうが少し(だいぶ)年上なのでしょう、宇宙大作戦は学生時代深夜テレビで見ていた記憶が。お蔭様でウラやカーク船長...etc.懐かしい場面の数々が甦りました。何より嬉しいのは、カトーさまが未だ存命でいらっしゃること(^_^)。レナード・ニモイ、スパイ大作戦にも出てましたよね。彼がたまに?登場すると嬉しかったものです。いちばん最近では、刑事コロンボの「溶ける糸」の録画で、コロンボの犯人のなかでもトップクラスの悪い医師メイフィールドを演じていました。視ながら応援していたのに、さいごコロンボの誘いに嵌ったのが残念でした。関係無いですが、「溶ける糸」の医師名を確認するのにGoogle検索したら、「会陰切開で溶ける糸を使った人、教えて! -【ママリ】」という記事がトップに。


非道な殺人者の顔も名前も住所も、個人情報保護とか少年法とかマスコミの自主規制とかによって知ることのできない理不尽さ、この情報社会においてあり得ません。それを正すネットの力はまさに「草の根」だと思います。もちろん、どんな効果的な武器も諸刃の剣、だからと言って野球のバットを禁止する社会なんて真平ごめん、上手に活用すればよいだけです。都市部の用水路に意味の無い鉄柵で入れないようにするとか阿呆です。マスコミがネットを批判するときは、自分たちの世界を荒らされて既得権益を失うのが我慢ならないという不純な理由が見え見えで哀れに感じます。晒された人が一生傷つくのは問題だと言われますが、人非人には一生傷ついてもらわなきゃあ困ります。冤罪の場合はネットも出版物もビデオも違いはないかと。


子どもは親と暮らすのがいちばん幸せだという考え、ケース・バイ・ケースだと私も思います。長い子育て期間、家族主義、老後の面倒を子が見る、かつては当たり前だと思っていたしきたりなのですが、猫やいろいろな生き物を見てきて考えが変わりました。家族に囲まれて死にたいなんて勘弁してくれに変わりました。孤独死を現代の悲劇のように新聞で取り上げていたのですが、私は孤独死万歳\(=^ω^=)/。その後の処理体制が大切なだけ。腐って蛆が湧いたら迷惑^^;。いろいろ選択肢のある今の世の中、捨てたものじゃあないです。


猿は狡賢くて、憎ったらしいガキんこと同じ。中には憎めない猿もいるのですが。猿とは縁があって、5歳の頃、岡山県の臥牛山にある備中松山城の猿と仲良くお手をし合っている写真が残っています。当時は猿頭だったみたいです、今や猫頭ですが。京都では近くに嵐山・岩田山自然公園があり、ここが猿山で、正式な入り口ではなく苔寺(西芳寺)のほうからの獣道から無料(清水寺も学生時代はよく出口から只で参拝)で入れたので、侵入して何度か猿と遊びました。猿は子どもの弁当を奪ったりしていました。嵐山の土産物屋さんにも猿が乱入して、店番の女の子(元連れ添い^^;)がハタキで追っ払ったり・・・。何十年振りかで思い出させていただく懐かしい風景がいろいろあります、不思議です。 
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[生き生き毛管体操、別名ゴキブリ体操中のシャム猫ぽこ様] 
 
足るを知らないヒトよりも三年前にいなくなっちゃったウーちゃんに余程親しみを感じるぼくは、現代日本の福祉も医療も病的なくらい過剰と感じています。老母の入院していた病院のリハビリ病棟の病室でも、胃瘻で生かされたコミュニケーションのとれない老婆(生ける屍)、吸痰で辛うじて生を保っている物言えぬ老婆(生ける屍)、病室の戸棚の中にいる(と思っている)夫や娘にひねもす話しかける老婆(生ける気狂い)、そんな彼女たちに、理学療法士が付いて毎日一時間のリハビリ、子どものおやつの量程ある投薬を食事よりも優先して食わせる。膨大な医療保険費。すべては老人福祉の名の下に、年寄りの生の尊厳の蹂躙、老人医療費の垂れ流し、病院も製薬会社も医療産業も儲かる、健康保険料上がる、年寄りの死を日常生活から遠ざけたい国民はそれに乗る、阿呆。猫を見習え。死を覚ったらウーちゃんのように姿を消せ。なのに、もっと福祉を充実させよとの声。驚愕。そういう人たちは、パチンコ中毒とかと一緒で、文化的生活を行政に依存することにのめり込んでいるのでしょう。傍迷惑。一度しかない人生、好きなように生きて、好きなとき死のうよ。悪あがきは止せ。
 

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寒波襲来と自然派「言いたい放題」 2016-01-15 [好きな言葉や拙見]

連日氷点下4度。降霜、結氷。
キーを叩く指が悴みます。
寒波襲来前のアメメくんとノルくんで気分だけでも温かく(=^・^=)
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 今日のアメメはずっと猫コタツに籠ったまんま。
 
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 ノルくんも今日はぼくの毛布に沈んでアンモニャイト。

今回の収穫たっぷりは、
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下仁田葱や赤葱や、鍋に良し、焼いて良し、刻んで良し、いろいろな葱たち。
売っている葱は白くて綺麗ですが、今の時期、畑の葱は霜に当ってこんな状態。
しょうやく(方言で野菜の下処理のこと)するとツルツルの葱に(*^^*)


ojiojiの言いたい放題(=^・^=)
今回も主に一年前頃のコメントです

パンに生える黴は味覚を損ねる場合が多いでしょうが、
健康面では害を及ぼすことの無いものが多いようです。
チーズに生えさせる黴と同種のものもあります。
かつては発がん物質かと云々されていましたが、
たいていの物は過剰に摂取すれば、水でさえ致命的ですものね。
例えば、焼き魚などのお焦げ、
数十年前は発癌性をやかましく言われましたが
今では食する程度では無問題に落ち着きました。
実際、お焦げを前提とする料理もありますものね。


交通安全協会は正直、警察の天下り受け皿になっていて、協会費の七割が給与や退職金にあてられているとか。実際の交通安全活動には、都道府県によって異なりますが、二割程しか使われていないとか。活動の内容は、住民やドライバーや警察が自分たちで取り組むのが当然のことばかりで、要するに別途お金を徴収して行うことではないように思います。
京都で初めて更新した時、協会費も更新費用に含まれる徴収のされ方(更新手続きの順番の途中に組み込まれていた)をして、次のときに任意であることを知り、その後に実態を知り、今は加入しておりません。


歯のメンテナンスを軽視していたぼくは治療箇所だらけです。
小さい頃の子ども用歯磨きなんて苺味とかバナナ味の甘いペーストでした。
あれじゃあ却って虫歯を促進するような(^^;)
イチゴ味のチューブをチューチュー吸って気持ちわるくなったやつもいました。
田舎では虫歯の穴に梅干しを詰めたりとか^^;すごい時代でした。
虫歯人口も今よりとても大勢で、虫歯の無い子は表彰されていました。


東京オリンピック前から物心ついて、実家が百姓で食料自給率ほぼ100%の食生活で育ちました。そのため、市販の菓子類は自宅では皆無、お客に行ったときがチャンス。かまぼことかの加工品は正月しか口に入らず。魚肉類は当時としては多かった気もしますが、つぶした鶏や山羊や地元の養鶏場からもらってきた廃鶏や解体して分けた牛とか^^;。魚以外は店で購入することは稀でした。そのぶん採れたて野菜はふんだん。
京都に出てからの学生時代や仕事時代は、ご多分に漏れず弁当や惣菜を買いジャンキーな食べ物も無頓着に食べていたものです。が、添加物や農薬(まさに当時の林檎やレモンなどのポストハーベスト薬品など)を気にするようになって、素材重視の食生活に変わってきました。
昨春(追記:2014年3月)、仕事を隠退して四十年ぶりに帰郷、自分なりに食材の出来る範囲での自給を目指して野菜をつくり、料理づくりの真似事も始めた次第です。と言いましても野蛮でアバウトなものですが^^;。来月で帰郷1年になるのですが、野菜の購入費は年間五百円以下で行けました。野菜類だけはほぼ完全自給で行けそうです。そのぶん山海の珍味を楽しむというわけには行きません。次のテーマは家畜の飼育なのですが、猫が5頭同居(追記:現在は4頭)しておりまして、まだ家畜に手が回りそうにありません。
そんな私ですので、共感して読ませていただきました。ポテチを大人になって初めてというくだり、微笑ましくて良いお話です。私が京都に出てきて初めて喫茶店に入ったようなものでしょうか。もちろん、原理主義者ではないので、ポテチもつまめばハムも大好きですが、化学合成物の添加された食品が当たり前のように並んでいる今の日本の食生活を憂えている者です。


30年あまりに亙る国語入試問題との付き合いで、とくに論説文関係は、吉野源三郎、小林秀雄、加藤周一、山崎正和から鷲田清一さま、河合隼雄さま、養老孟司さま、鈴木孝夫さま、正高信男さま、茂木健一郎^^;まで普段の読書では手に取らない文章に多々触れることができたのは財産になっています。
そのぶん耳年増になってしまい、謙虚さを失ってしまいました。
三浦哲郎さま、まさに謙虚で、今の日本で失われた生き方や心を書かれていた素晴らしい作家だと思います。読むと泣けるので読まない^^;みたいな感じです。昭和30年前後の日本映画の秀作に感じる懐かしさと似ています。
ぼくには向田邦子さまあたりが良薬でしょうか。


三浦哲郎氏の前半生は家庭の不幸にこれでもかというほど見舞われた(長兄 - 家業を手伝っていたが1937年に失踪。次兄 - 三浦の学費を支援していたが事業に失敗し1950年に失踪。長姉 - 先天性色素欠乏症で弱視のため琴を習っていたが1938年に服毒自殺。二姉 - 女子高等師範学校の受験に失敗し1937年に19歳で津軽海峡で投身自殺。三姉 - 先天性色素欠乏症で弱視だったが琴の師匠となり家計を支えた。Wikipediaによる)方みたいで、それが作品に生かされたのでしょうか。
逆境に潰れる人もいれば、作品に結実させる人もいるんですね。


文学作品の読解とやらを客観テストで問うのは不適切と思っておりますので、試験会場でこの文章(追記:共通一次試験における三浦哲郎氏の「鳥寄せ」)に触れた受験生たちに同情します(^^)。入試古文では、親の臨終の様子を克明に綴った小林一茶の日記が出題されたこともあります。身内を亡くしたての受験生にとっては堪らないのではと心配になりました。
三浦哲郎の文章は、悲しみの伴う郷愁を誘われるというか、ぼくには経穴で、泣けてしまうので、マジで読まないようにしているところがあります。塾講師時代に、中学入試で出題された三浦氏の文章に涙し、ピンと来ていない生徒たちを叱ったという酷い講師でした^^;。近年の入試出題文では重松清の「海まで」の一節に泣けました。


こんにちは。一年中、農閑期しております^_^;
此の頃、土に触れるのは桜島大根を引っこ抜いて洗うときくらいかもです。
味美菜とかは土に触らずにハサミで1枚ずつチョッキンと収穫。
今回の記事、懐かしさに感激。
牛んが(と呼んでいました)で荒起ししていた父親の姿を思い出します。
私が小学校に入る頃までの風景そのものです。
その後は耕運機からトラクターへ、田圃も重機が入って区画整理?されて広大に。
レンゲが一面に広がった田んぼで転げまわって遊び、
レンゲを牛の餌用に自家製サイロに詰め・・・etc.懐かしい風景です。


柿、子どもの頃から身近にありすぎて、
カボチャと同じく、ありがたみが失せて、
すっかり食べなくなっていました。
昔は、大鍋いっぱいカボチャが炊いてあって、
おかずはそれで全て(^^;)とか。
今回の記事で、柿もいいなあという気持ちになりました。
今年は柿を放置しないで収穫して食べるでしょう(^_^)
(追記:結局ほとんど食べませんでした^^;)


本を図書館で借りるのが苦手でして、
読むときは寝食忘れて読むくせに、積ん読期間が異様に長かったりと、
借り手としてはサイアクです。
ツタヤのDVDを配達してもらうやつも利用したのですが、
得する枚数借りても期日を守れないので一度っきりでやめました。


「形を見せない」、一理あるのは認めますが、これぞ現代日本社会の隠蔽構造そのもののような。必ず死ぬヒトの死を遠ざけ、排泄物を極力見えないように闇に葬り、恐喝や暴力沙汰の犯罪をいじめなどと称し、番組を馘首になるのを卒業などと称し…etc. ぜひ原形のまんま味わわれんことを。蛇も長ければこそ蛇、ぶつ切りにしてしまったらサンマと間違えます。逆に言えば、マクドのハンバーグとか何が入っているかわからない、知らぬが仏。ひと月以上経っても黴ないハンバーガーとか食パンとかの問題に繋がります。


不味い甘酒というのはどういうのがあるのかピンと来なくて。
砂糖や調味料で味をつくっているのでしょうか。
やはり麹黴のアミラーゼによる糖化がいちばん(*^^*)
牛乳のお話、ぼくは小学校まで山羊の乳を毎日飲んでいたので、わかる気がします。
朝は山羊乳を熱々ご飯にかけて食べていました。
もう一度、山羊の乳ご飯を食べるのも夢だったのです。
やろうと思えばいつでも出来る身の上にやっとなれました。
が、5にゃんズ(追記:今は4にゃんズ)たちがいるうちはまだ難しくて。


椎茸ステーキ美味しそうですね。
わが家も来年からたくさん採れるように育てなくては。
ナメコはステーキというわけにいかなくて^^;
日本列島に寒波が襲っているみたいですね、
ニュースに疎くて、いろんな方のブログで知りました。
でも虫たちは活発ですね、それくらい居心地が良いのでしょう(^_^)
根切り虫、こっちでは切り蛆キリウジと呼んでいます、汚い名前ですよね。
この1年間で切り蛆にやられた苗も何本かありますが、
生き延びた苗のほうが遥かに多くて、
植物の逞しさと自然淘汰の摂理を学べました。
滅ぼすまで突き進むのは人間特有の性質みたいです。
動物でも植物でも儲けでも、全て取り尽くすみたいな。 
 
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アメメくん、珍しく溌溂、お目目パッチリ(=^・^=)
「四百年前の先祖の悪行を未だに気に懸けて生きている一族や、70年前に新型爆弾や都市空襲で国際法に違反して何十万人もの無辜の民を殺戮しておいてその悲愴を共有出来ない国や、100年少し前までネイティブアメリカンをジェノサイド(フン族もびっくり)していた国や、自分たちは核兵器を保有しておいて他国の核保有を非難する国や、そんな国を頼み徒党を組む国や、人間の世はいろいろ。されば、現し世のことには法律が必要じゃ。しかし、彼の世のことは祟りから恩寵まで自由闊達、何でもありで、規制フリーなのじゃ」
と、だんだん浮世離れしております。 
 

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