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大根飯とおしん、「田んぼと遊ぶ」郷愁 2015-02-08 [昔]

大根飯が美味い(^O^)
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 昨夜の鶏鍋(白菜、葱、人参)の残り汁に賽の目切りにした大根と飯の残りを入れて雑炊にし、さいごに豆腐を小さく賽の目切りして投入、これが美味いの何の。
 
NHK「おしん」では大根飯が貧しい東北の農村の食事の象徴のように描かれていたが、
現代日本では実に健康的なメニューだと思う。
おしんの親は貧しいことを愚痴るだけではなく、もっと生活改善の工夫をすればよかったのに。
泉ピン子は大根飯に川で獲った魚の干物の身をほぐして入れたり、米が乏しければ野菜物をもっとたくさん栽培したり、伊東四朗は罠を仕掛けて鳥を捕ったり、米酒以外のお酒を醸造する工夫をしなきゃあ。楽しいぞ。
橋田壽賀子女史における明治の農村観が歪んでいたのでしょう。野良仕事は肉体的にはしんどくても、精神的ストレスは満員電車で通勤する現代サラリーマンの万分の1です。また、しんどくない程度に手を抜く農民も大勢いたはずです、今の会社員と同じく。壽賀子女史は人口の過半数を占める農民を悲惨に不幸に描きすぎました。それを信じて制作したNHKも罪つくりでした。あの番組でますます農業人口が減少しました(^O^)
 
今日の収穫たっぷりも、また桜島大根^_^; 
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畑にまだまだあります。
 
んっ、ガラス障子に何やら怪しい影が。 
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 忍者?それとも泥棒?
 いつぞやの猫クライマー遊びを思い出して、
今回はマタタビ木天蓼(訂正 キウイです、なぜマタタビと書いたか不明、脳猫化症進行中m(_ _)m)の小枝を使ってみました。
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 鴨居(と言っているのですが正確には長押ナゲシ? 鴨居と来れば鴨居の大将堤真一=鳥井信治郎「やってみなはれ」(^^))に掛けたマタタビ木天蓼(訂正 キウイです)の小枝にアプローチするちゃとらん。続きは後日m(_ _)m
 

 
 今年なってから和室の赤外線炬燵で寝ている。布団を敷いたり畳んだりの毎日で、初めは面倒くさかったが、この頃は同じ部屋が寝室、居間と一日で変貌する様子に、和風の暮らしも良いなあと思えるようになった。

畳に寝る習慣は数十年振り、京都に出てきた学生時代以来、いや、実家にいた頃から父親手づくりのベッドに寝ていたぞ。たぶん小学校高学年か中1くらいのことか。
 
亡父は昔の田舎人で、何でも自分で作る流儀。家畜小屋はもとより、買ってくれと私がねだった卓球台から、とうとう家族の新居まで(頼んでいた大工さんの仕事を勝手に進めて)手掛けてしまいました。
 
そんな父の作った二段ベッド、材料の板材、角材に鉋を掛けるところから始めて、ホゾ切り、ホゾ穴まで全部手作業でした。組み立てるのをわくわくしながら見ていたのを思い出します。

当時の父の年齢が四十過ぎ、それを大きく上回っている今の私の如何に無力なことか。ホゾのひとつも切れません。切ろうと思えば切れるけれど、木工に取りかかろうとするマメさがありません。せいぜい細い丸太を挽き切るくらいです。人類の文明が進むにつれて個体である人間は退化する、わが身で実感しております。

その代わり、人生の楽しみ方では進化しているぞと気を取り直すことにした。
 
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 ふーちゃん「何を高等遊民を気取っているの。そういうのを極楽蜻蛉って言うのよ」

追伸
記事を書きながら子どもの頃を思い出した後で、以前紹介したブログ「田んぼと遊ぶ」を訪れたところ、冬場の田んぼの懐かしいお話に出会えました。うしんが(牛に牽かせる犁=スキ)で荒起し(天地返し)された田んぼの風景、まさに五十年前の生家の田んぼと同じです。
短編小説「鳥寄せ」に影響されて、幼い日の郷愁を引き寄せているのでしょうか。
都市部の読者の方の目に触れることを願って紹介させていただきました。 
 
それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ
 
わがままではなく、ありのままに(^^)
都会の人も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
読んでくださってありがとうございますm(__)m
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