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三浦哲郎「鳥寄せ」を紹介 2015-02-07 [好きな言葉や拙見]

一昨日の記事へのコメントでハマコウさまが紹介してくださった「鳥寄せ」(作者三浦哲郎)、 昭和55年(1980年)1月の第2回共通一次試験で出題された短編です。
私が予備校生に国語を教え始めたのが確か1985年から。ということは「鳥寄せ」を過去問で扱っているはずなのに、印象に残っていませんでした。答え合わせと解法のポイント解説で済ませていたのかも知れません。こんな名作だというのに。
原文と要約を交えて紹介します。

最初は、一と声、ついっちょん、でやんす。それから、ちちちちちちち、と七声つづけて、つういっちょ、つういっちょ、いっちょん、るぴいあ。あとは、ちちち、るぴいあ、ちちち、るぴいあ、を四度繰り返して、これが一と啼き。

おらは十二歳の分教場に通う六年生。
うちには弟と、口を聞いてくれない石地蔵のような爺っちゃの2人だけ。
母っちゃも、そして、おらにこの鳥寄せの笛を教えてくれた父っちゃも居ません。

おらがまだ二年生のとき、父っちゃが東京に出稼ぎに行くことになりました。
空色の大きなビニルの鞄(かばん)を提げて、
大は小を兼ねるっつうべ。帰りには土産をたくさん詰めでくるすけに。
こう言って笑いながら出掛けました。

一緒に東京へ雇われていった村の仲間のひとたちは、暮の三十日に正月休みを貰って帰ってきました。あいにく腹が大きくなっていて山越えのできない母っちゃの代わりに、おらが出迎えのひとたちに混じって、バスの終点まで父っちゃを迎えにいきました。
ところが、両手に荷物を提げてバスから降りてくるひとたちのなかに、父っちゃの顔が見当たりません。おらはおろおろして、仲間のひとりに、父っちゃのことを尋ねてみました。
するとそのひとは怪訝そうな顔をして、お前(め)の父っちゃなら先に帰ったはずだと言うのです。そんなことはありゃんせん。まだ帰らないから、こうして迎えにきているのです。

父っちゃは馴れない仕事にへまばかりしていて、俺はやっぱり百姓だ、野良仕事がいちばん性に合っている、村へ帰る、と仲間に洩らして、夜逃げをするように飯場を逃げ出ていったということです。
けれども、父っちゃは村には帰っていません。一体どこへ消えてしまったのでしょう。それは誰にも見当のつかないことでした。

母っちゃは死んだ子を産みました。
爺っちゃが炉端の石地蔵になったのは、それからです。

あくる年の秋、父っちゃは裏山で見つかりました。
見つけるのが遅すぎました。父っちゃは白い骨になっていました。
木の枝にまるくベルトが掛かっていました。

そばにあった空色のビニルの鞄を開けてみると、黴だらけの衣服や下着類のなかから、土産物らしい品々が何点か見つかりました。
爺っちゃには煙管(きせる)と毛の胴巻。
母っちゃのためには、市日にも着ていけるような花柄のシャツと茶色のズボン。
おらと弟のためには、お揃いの彫刻刀セットと、赤と青のちいさな蝦蟇口(がまぐち)が一つずつ。どちらにも、種銭に五円玉が一箇ずつ入れてありました。

そんな土産まで用意して、せっかく裏山まで戻ってきたのに、どうして父っちゃは、目の下に自分の家の明かりを見下ろしながら、そこで立ち止まってしまったんでやんしょう。

騒ぎのあと、村のひとたちが、寄ると触ると囁き合っていたように、父っちゃは自分の家の明かりを見て、かえって足がすくんでしまったのでしょうか。馴れない仕事にへまを重ねすぎて、自分の家へ引き返す自信までもなくしていたのでしょうか。
また、仲間たちから離れて自分だけ野良へ戻ったところで、どうなるものでもないと絶望したのでやんしょうか。

父っちゃの葬いを済ませたあたりから、母っちゃは気が触れたようになり、日が暮れると縁側で鳥寄せの笛を吹くようになりました。「いま父っちゃを呼んでやっからな」と言って・・・。
いたたまれなくなったおらは、鳥寄せの笛を納屋の隅に隠してしまいます。
母っちゃはしばらくしょんぼりしていましたが、ある日霞網を持って山に入り、とうとうそのまま戻ってきませんでした。

今では、おらが夕暮れの縁側に座ってその笛を鳴らしています。

以上。
ところで、おらは男の子か女の子かどちらでしょう? ※に続く 
DSCF5297.jpg
[2012.5.2京都のマンション書斎にて 
アメメも涙を堪えながら読後感に暫し浸っています。
 
設問では「爺っちゃが炉端の石地蔵になった」とはどうなったことかなど。
おらと弟への揃いの彫刻刀セットと五円玉の入った蝦蟇口は、先立つ父っちゃのところへ来いと子どもを道連れ(間引き)にする意図という解釈もありました。

※「鳥寄せ」作中の「おら」の性別について。
「おら」という語感で最初から男の子と思い込んで読み進めた読者や、同じ方言の地域に住んでいて女の子も想定した読者や、性別といっても馬鹿にはできません。当時、業界でも話題になっていました。

国語の設問として考えると、「正解(の根拠)は必ず本文中にあり」という解法の基本に従って、「赤と青のちいさな蝦蟇口」という描写により弟が青で「おら」が赤、つまり「おら」は女の子である、と当時は解説したのでしょう^^;。
ちょっと待て、赤い蝦蟇口を持つ男の子、普通ですよね、ぼくのPATAGONIAのダウンジャケット(チョモランマ仕様(^o^))も深紅です。
こうして素直な受験生たちは日本社会の「空気」に染められていったのです。

今の私なら、蝦蟇口は根拠にしないで、主題である「鳥寄せ」笛からアプローチさせるでしょう。
母っちゃが「いま父っちゃを呼んでやっからな」と呼んでいるのは売春のお客だと思われます。「おら」は息を殺して、母っちゃが見知らぬ男と抱き合っているのを聞いていたはずです。女手ひとつで子どもを抱えて生きていくには身体を売るしか無い。他に事業を営む描写はありません。母親はいつしかその身体が「父っちゃ」の代わりの男を求めて疼くようになる。そんな様子に「おら」は耐え切れなくなり、母っちゃに売春をやめさせる。その「おら」が今はその仕事を引き継いでいる、自分も悲しい母親の血を受け継いで・・・。何か1970年代のATG映画にあったような世界に。母親を抱く見知らぬ男役は原田芳雄でしょうか。

というわけで、母親の仕事を受け継いだ「おら」は女性と言えましょう。
いや、男娼という可能性も・・・、叙述トリックの傑作「葉桜の季節に君を想うということ」(歌野晶午)や綾辻行人の作品違うっちゅうのに。
すみません、せっかくの名作なのにm(_ _)m。 
 
DSCF2691.jpg 
[2011.5.28京都のマンション書斎にて]
アメメ「 父っちゃが悲しすぎる。大脳の大きい生き物には俺たちの知らない苦悩があるんだなあ。俺様は縊死なんてしないぞ、どうせ死ぬるのに」
 
再読したくて探してみましたが、この作品が収録されている「木馬の騎手」のamazonの古書価格は単行本で6980円、文庫本で2000円、共通1次の当時の過去問は在庫無し。どうやら図書館で借りるのが良さそうです。
 
 
それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ
 
わがままではなく、ありのままに(^^)
都会の人も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
読んでくださってありがとうございますm(__)m
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