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谷口ユミこと大川栄子さまと「キイハンター」よ永遠なれ 2015-12-18 [昔]


昨日から寒波襲来、今朝も氷点下2度。
昼間も寒くて、ヒーター内蔵ベストと貼るカイロを併用。
去年の昨日の記事を見ると、吹雪、大雪。それよりはましか。

前回の、消費税に軽減税率の導入は不要、赤字国債の発行自由化反対の思いを綴った記事に、実に健全で真っ当なコメントをくださりありがとうございます。

それに比べて、政治家や官僚たちの不当で不健全なことよ。代表制の危機とか言われていますが、間接民主制の限界でしょう。権限を委ねた代表たちのやることに納得できない人たちが増えた。じゃあどうすればよいか。文句のある人たちが政治や行政に参加すれば良い。つまり直接民主制になるのかなあ。
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「あるいは、ojiojiのように隠者になる道もあるよ」と、皮下脂肪を過度にたくわえ気味のふーちゃんが。

キイハンターKEY HUNTER 1968年〜1973年
[京都時代に老後のために購入していたDVD BOX] 
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お馴染みのテーマ曲に、芥川隆行のナレーションが名調子で流れてくる。
「この部屋のグループは五人、彼らの愛するものは自由、求めるものは平和。彼らの活躍がここに始まる。彼らの行くところ不可能の文字なく、彼らを遮る国境もない。彼らはこう呼ばれる」
(第105話からは「今日もまた、地球のあらゆる所で、陰謀、裏切り、暴動が渦巻く。その渦中に飛び込む彼ら。恋も、夢も、望みも捨てて、非情の掟に命を賭ける。彼らの求めるものは自由、願うものは平和。彼らはこう呼ばれた」) 
 
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土曜の夜9時は小学生のぼくには禁断の時間。
嗚呼、またユミちゃんに逢える。
こんなキュートなお姉さんが笑って喋って動いている。
お姉さんはよく失神して、ときどきパンチラした。

谷口ユミの可愛さは裏・市長さまの表現をお借りすれば「殺人的」(*^^*)
演じる大川栄子さまは昭和22年生まれ、先日68歳になられたところ。
彼女のブログを訪れると、今もキュートで素敵なおば様でした。
ぼくにとっても充分に守備範囲、どころか憧れのお姉さんのまんま(*^^*) 
 
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[左から千葉真一、大川栄子、丹波哲郎、野際陽子、川口浩、谷隼人]

次回予告「プロフェッショナル・キイハンター、次のカラーシグナルは・・・」
お気に入り動画(消えてたら御免)https://www.youtube.com/watch?v=cMl6h1A9Wgc

あれから四十数年、今は「相棒」視聴修行継続中。シーズン6の第五話まで視了。
「相棒」のほうがドラマとしてのレベルは高く、テーマの鋭さや深さからいろいろと考えさせられるが、「キイハンター」の脳天気な世界のほうが良質な時間を過ごせる気がする(^^;)

今朝の収穫たっぷりは、 
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秋に植えたブロッコリーの初収穫。若採りのため身が締まって贅沢な美味しさ。
今季終了と思っていた原木からまたナメコが。
朽ちた原木からまた生えていた椎茸。
 
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右)電気ヒーター付きのぼくのベッドに入り浸りのノルくん。
ぼくの左肩に上半身を載せて寝るので、半磔状態。肩凝りが治りません。
 
付録)「キイハンター」の動画をチェックしていたときに見つけました
NHK長野「イブニング信州」
お天気お姉さんの神谷ゆりさん、
お別れの挨拶で涙
「これからも信州の皆様の幸せを祈っています」に感動。
神谷ゆりさん、お疲れさま。お元気でね。
男性アナのプロフェッショナルなフォローと締めに感銘。
YouTubeに寄せられた温かいコメントを読むとさらに幸せ気分。
良い動画を見られて良かった。これもキイハンターのお蔭(*^^*) 


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九死一生は幸運?悪運?(長編^^;) 蕗の薹は何処へ 2015-03-16 [昔]

京都から春来たる(^_^)
Iさん、Hくん、Yくん、Oさん高校合格おめでとう\(=^ω^=)/
京都の塾の生徒たちから懐かしい電話が。
今日は公立高校合格発表日だったのです。
酔っていてごめんm(_ _)m
前世を思い出し、とても嬉しかった
まゆさんのあの美しい字が懐かしいよ。

蕗の薹を食べたくて、1月末に島根県で蕗の薹出現の記事を見て以来、蕗の生える場所を度々見に行っていたのですが、昨日、蕗の薹ではなくて蕗の葉^^;が何本が出ていました。
蕗の薹はどこに。
道端なので、ひょっとして先客があった?

今日は一日、好い天気。
今シーズン初(^_^;)の畑の草むしり。韮は緑の葉を伸ばし始めたところなのに、雑草は土が見えないくらい蔓延っている。冬の間に根をしっかりと伸ばしていました。
ノルくんたちも猫コタツを出て、窓際で長閑に日向ぼっこ。
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 ヨガ?ストレッチ?
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横綱の貫禄。運動不足なだけか。
とっとっとっとっと室内犬のような走り方、いや、
本人は走っているつもりだけど、歩き方をします。
 
ぼくは、今度は左下の詰め物が外れたので夕方、石原歯科に。
しっかり噛めるようになったお祝い^^;に鯵の刺身と実家でもらったお寿司でひとり宴会(^o^)、そのときに冒頭の嬉しい電話だったのです。
 

 
mitsuya さまのブログで「運の良い人悪い人、運ってなに?」という記事を拝読、わが身の強運・悪運の強さを思いました。

少年時代に二度、九死に一生を得た体験は以前紹介しました(トラックが私の上を通過した体験は奇跡、いつか詳しく記録に残す)が、今日は京都時代に遭ったある奇跡的な出来事を久々に思い出したので記録に残しておきます。(以下、長文m(_ _)m)

あれは二十五年ほど前の8月の終わり、勤務していた学習塾の確か夏期講習の終盤の頃。まだ私がマンションを購入する以前で、京都市内の国道9号線沿いにある賃貸アパート(名前はマンション)の1階に居住していた時代のこと。明るくなりかけの時刻、確か午前五時半頃でした。

睡眠中に突然の轟音と振動がして目覚めた途端、
身体の上にガラガラと大量に塊が降ってきた。
身体を起こそうにも、埋まっていて身動き出来ず。
視界は煙で何も見えず、息もしにくい。
工場の機械のような音が低音で鳴り続いている。
数秒間のパニックの次に思ったのは、地震だ!ということ。
阪神淡路大震災の五年前のことです。
脱出しなきゃあ!
ベッドの布団の中で藻掻くけれど、身動きが取りにくい。
身体にスチール本立が倒れかかり、本とモルタルやコンクリの瓦礫に埋まっていました。
煙で息が出来ないと思ったら、瓦礫の粉塵でした。
ベッドの右を見ると数十cm先に巨大なトラックの荷台とタイヤが(^_^;)
排気ガスの臭いが急に苦しいくらい漂いました。
鳴り続ける音はトラックのエンジンだったのです。
ますます事態がわからず、パニックに。
なぜか、このままでは爆発する!と焦って、
必死で瓦礫を掻き分けて廊下側に脱出。
確か短パンとランニングの格好で、粉塵まみれでした。
アパートの玄関から国道側に出てみると、薄暗いなかを、十名以上の人たちが集まっていました。
「中に人がいるん違うんか」
「ベッドが見えるぞ」
「潰れてるんと違うか」
わいわい騒いでいます。
その背後からぼくが「ぼくです!」と呼びかけると、
皆んな振り向いてびっくり。
口々に、大丈夫かと心配してくれて、そうしているうちにアパートの大家さんが来てくれて、すぐに病院に連れていってくれました。補償交渉のときに医師の診断書がいるんだそうです(^_^;)、勉強になりました。

レントゲンまで撮られたけれど、怪我は、瓦礫で出来た擦り傷だけで大したことはなく、現場に戻ると、黒山の人だかりに。そりゃ国道沿いの四階建てアパートに大型トラックが突っ込んだのですから。
新聞社の支局の人も来ていました。

ひとり中年の男性が頭を抱えて俯いたまま、現場のコンクリート片の上にしゃがんでいました。ああ、えらいことしてもうた、親方に叱られる、もうおしまいやと、ぶつぶつ呟いています。大型トラックの運転手みたいです。指が欠けていました。可哀想でした。
警察の現場検証の傍で聞いたところ、驚愕の事実が。

大型トラックは20トン積みで鋼材を満載。運転手が未明にコンビニで弁当を買うためにエンジンをかけたままトラックを停車。コンビニはアパートから100mほど上手にあり、途中は緩やかな勾配です。運転手が買い物を済ませて出たところ、トラックの姿がありません。えらいこっちゃ。トラックを探して(^_^;)国道を徒歩で下っていて、現場を発見。何と、無人のトラックが、たぶんサイドブレーキが甘かったために、国道の下り勾配をゆっくりバック!で進み、途中の9号線と桂坂への道との交差点を通過しその40mほど下手にあるアパートの、選りに選ってぼくの部屋のところで右旋回、鋼材を満載した荷台が国道に面した部屋を貫通、その奥の寝室の端まで突入していたのでした。大型トラックの荷台がすっぽりとアパートの中に垂直に入ったわけです。重力加速度並びに慣性の法則は強力です。外には運転席だけが覗いていました。あと1m早く右旋回していたら、ぼくはぺちゃんこでした。20トンを耐える自信はありません。
無人トラックが、バックで、100m逆走、途中の信号交差点もクリア、そしてぼくの部屋に命中(^_^;)。まさに奇跡です。夏は暑いので道路側の部屋の真ん中に寝るときもあったのに、その日はたまたまベッドで寝ていて助かったのも奇跡です。

ベランダに置いていた愛車MASI(自転車ロードレーサー)はフレームがぐにゃり、修理不能(;_;)、家財道具の多くは大破、バス・トイレも大破、上の階からの水洗の排水パイプを破壊したため、朝の時間帯の階上の方たちの汚水が天井から噴出、芸大の女子学生だったのがせめてもの慰め^^;、貴重な書籍が黄色く(;_;)。加藤治郎の名著「将棋は歩から」全三巻も(;_;)。もったいないので、汚れがましだった一冊は今も記念に手許に。
後日の運送会社側の保険の人との遣り取りは理不尽な思い出。総額35万の自転車を、「自転車は1万円ですね」で片付けられた。だいぶ粘ったけれど、査定額は物品により決まっていますときっぱり。当時は知識も度胸も無かったので泣き寝入り。居住不能になったので大家さんが仮住まいの古民家を提供してくださったり、いろいろ人生勉強出来ましたがテーマと離れるので。

この事故以来、睡眠中にトラックとかの振動があるとハッと目覚めて動悸のする時期が十年以上続きました。睡眠中の地震の揺れに、またトラックが!と身体が反射的に反応しました。PTSDですね。
阪神淡路大震災のときも、睡眠中だったので、目覚めた瞬間真っ先に、トラックが突っ込んだ!と直感。4階の部屋だというのに(^_^;)。大型トラックが1階に突っ込んでマンションが倒壊しかけたんだと考えなおしてから、揺れが20秒くらい続いている間に、いや違う、これは地震だとわかって、ちょっと安心したのを覚えています。

九死に一生体験、他にも思い出すままに、
数年前、原付バイク(YAMAHAアプリオ)で、白いスポーツカーの横を左からすり抜け(^_^;)したとき、運転してたヤンキー兄ちゃんがブチ切れたのか、突然爆音をあげて奇声と共に私のバイクに幅寄せ、脅かすつもりが私の右腕に車のボディーが接触、あちゃー、転ぶ!と覚悟しながら、ロードレーサーで培ったバランス感覚で持ち直せたことがありました。接触後にびびったのか、一旦、停止しかけた車が、態勢を立て直したバイクを見て、走り去りました。

十年あまり前、まだ自転車(下鴨のビゴーレのロードレーサー)通勤時代、洛西ニュータウンの横断歩道を青で乗車したまま(^_^;)渡っていたところ、左折の黒っぽいスポーツカーが歩行者より先に曲がろうと急発進。私は自転車で横断歩道をすでに半分以上進行中。猛スピードの車に避けようがなく、急ブレーキ。イメージは、前輪を浮かせて躱すウイリーだったのですが、実際は前輪がロックされて後輪が垂直に、私の身体も真上にぽーんと放り上げられました。慣性の法則は強い。空中に滞在中に斜め下をスポーツカーが猛スピードで通過。私の安否も確かめずにさらに加速して見えなくなりました。周りのひとたちが心配して駆け寄ってくれました。向こう側の人からは、私が車に撥ねられたように見えたみたいで、ひき逃げだ!と叫ぶ声も聞こえました。この落ち方は何度も経験があって^^;、受け身を取れたので怪我はしませんでした。無事なのも恥ずかしかったので、ぺこぺこしながら私も猛スピードで走り去りました。

30年近く前、京都の北山で行われた自転車ロードレースに出場したときのこと。当時は、イタリアのMASIのフレームにシマノのニューディラエースなどで組んだ35万円(^_^;)のマシン。美山や花背のほうを回る山岳コースで、下りは時速60kmを軽く超えて時速70km程度のスピードになります。一流選手以外は、それ以上は恐いし危険。そのレースでカーブのある長い下り坂を、登りで使い果たした筋肉の回復程度の回転で加速を楽しみながら下っていました。スピードが出過ぎると前後輪のブレーキをバランスよく利かせます。そのとき突然、前輪のブレーキシュー(リムに触れて摩擦を起こす直方体のゴム)が吹っ飛んだのです。前輪のブレーキが利かない!スピードは70km近く(;_;)。コースアウトしたら谷に落ちます。もし転んだらこのスピードです、ただでは済みません。後輪ブレーキだけ利かせて、それ以上の加速を抑え、コースアウトしないように、転倒しないように、必死で操りました。坂が緩やかになりスピードが落ちたときには心からホッとしました。生涯最高の走り。レース後に笑いながら「出来ることを冷静に判断したら大丈夫だ」などと余裕をかましたのは大嘘です。

思い出しながら書いているうちに、とっくに4回くらい死んでいた(^o^)ことがわかりました。そして、殆どのケース(20tトラック突入以外)の原因つまり非は吾に在りということに気づいて嫌になったので、この辺にします。

mitsuyaさまブログはカウンセリング効果があるのか、潜在意識に眠っていた過去の記憶の甦ることが屡々、不思議です。
 
現在は過去の結果と申します。
過去に囚われたくはないけれど、
たまに振り返ってみるのは良いものです。
過ぎてしまえば、みな美しい 
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 ノルくん「ojiojiには呆れるよ。ぼくの臆病さを見習わなきゃ、勝手口が開いててもお外には出ないでしょ」
 

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帰郷記念日(^_^)、マッサンのファンにお詫び^^; 2015-03-13 [昔]

私的祝日 帰郷記念日\(=^ω^=)/
一年前の今日、京都からアリさんマークの引越社の四トントラックに積めるかぎり積んで帰郷。私はお世話になったブリーダーさまの自家用車に5頭の猫と共に積載、トラックの後ろに続きました。
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[2014.3.11 引っ越し前々日のアメメとふーちゃん。書籍は既に梱包済み] 
 
あの怒涛の三月を懐しく思い出しました。
引っ越し準備期間でいちばん大変だったのは、飼っていた魚たちと育てていた植物たちをどうするか。
植木鉢やプランターがベランダと室内に何十鉢もあり、2メートル近いドラセナやパキラたちも。水槽は150×60×60cmのアクリル製が一台、90cmのガラス水槽が2本、60cmのガラス水槽が2本、45cmの一体型が2台が動いていました、無茶です(^_^;)。 
 
[2014.3.4 リビングの90cm水槽やドラセナ、パキラたち] 
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植物は、希望者に差し上げますの案内をマンションに貼らせてもらったけれど、数鉢しかもらわれず。近所の保育園を経営しているお寺さんに頼んで、残りを全部引き取っていただきました。運搬に何往復も、屈強の若者に手伝ってもらって。あっ、ローズマリーとかのプランターはいくつか、近所の道路沿いに並べてあるプランターの傍にこっそり置いておきました。
 
[2014.3.4 リビングの150cm水槽や緑たち] 
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難儀だったのは水槽たち。生体(魚たち)はすべて、近所といっても歩いて二十分以上かかるペットショップで引き取っていただけることに。アメメくんが二年半(売れ残って)暮らしたペットショップです。鯰や草魚(40cm以上)や金魚、熱帯魚...etc.を何枚もの大きなビニル袋に入れて、徒歩で運搬、これまた何往復も、190cm!(京都の方には誰かわかっちゃうかも)の若者に手伝ってもらって。さらに水槽に敷いていた膨大な底砂の袋詰作業。とにかく、生き物を死なせたり路頭に迷わせたりしたくなかったので、無我夢中でやりました。
本来の引っ越し準備の、家財道具や書籍の荷造りは付録のようなものでした。 
 
[2014.3.11 引っ越し前々日。水槽も空っぽに] 
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そして、2014年3月13日引越し当日。
最大の難関、5頭の猫たちの大移動。
猫のブリーダーさんのアドバイスで、出発よりも早めにキャリーに入れてスタンバイしておくことに。荷物搬出作業を見た猫は察知して捕まえられなくなるとのこと。とてつもなく暴れるときもあるそう。
 
キャリーが一台しか無かったので、amazonから頭数分取り寄せて、
一頭ずつキャリーに入れては風呂場に隔離。
ちゃとらん、ふーちゃん、みうめちゃんまでは順調、
ノルくんが少し暴れたけれど無事収まり、
風呂場に4台のキャリーが並びました。 
 
[2014.3.13 京都にマンションの風呂場にて4頭が入ったキャリー] 
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あとはアメメくんだけ。
それまでうろうろしていたので、
安心して捕まえようとしたら事件発生!
突然、異常に抵抗して大暴れ、
物が半分以上搬出された室内を逃げ回って、
猫トイレの中に籠城。頑として動かず。
ブリーダーさんと相談、猫トイレをキャリーの代わりにすることに。
周囲をガムテープでグルグル巻いて補強。
アメメは中で唸っていました(;_;)
かくて、5台のキャリーが揃ったので、乗用車まで運搬。
マンションの4階から駐車場まで3往復。
いよいよ京都から岡山へ出発、
少しでも時間を短縮しようと、途中ノンストップ、
昼に出発して午後4時には到着できました。
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[2014.3.18 現住居にて猫仕様にセッテイング]  
 
到着して真っ先に、猫たちを出してやりました。
皆んな、ぼくも含めてぐったりしていて、逃げようとかしませんでした。
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[2014.3.18 5頭&私の共棲時代、静脈血栓塞栓症の虞を予感^^;] 
 
初めの内は、寝室にしている洋間と食堂を猫空間にしたのですが、相性と、ふーちゃんの台所でのいたずらのため、現在の、
寝室・食堂組のノルくん、みうめちゃんと、
廊下いつしか和室も(^^;組のちゃとらん、ふーちゃん、アメメくんとの
二カ国に分離させたわけです。

私はと言えば、以来、休肝日などという軟弱な日を一日たりとも設けることなく無事一年を過ごすことができました。
と、ひとり感慨に浸っておりましたところ、あんな過酷な引っ越しの苦労を共にしたちゃとらんorふーちゃんが昨夜から今朝にかけて二度に亘る侵入破壊工作を。 
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一度目は昨夜、ヒト用トイレのドアノブを開けて侵入、
物音に駆けつけてみるとこの有り様。
造花を飾っていたコップが床に散乱。
廊下に造花の一本が転がっていました。
さらに今朝方、二度目の物音が。
今度はトイレ掃除用の器具を入れていた缶を床に落としていました。
ドアノブに飛びついて開けることがわかって出来るのはふーちゃんだけ。
アメメとかはまぐれで開くときがあるだけ。
ということは犯人はふーちゃんか。
あるいは、ふーちゃんが開けて、ちゃとらんが暴れた可能性もあります。
言葉を操るヒトが鬱陶しいのは勿論(^o^)ですが、
言葉を操らない猫とても油断は禁物です。

ところで、全国の「マッサン」ファンの皆さん、すみません。
昨日の記事でこのドラマを批判的に紹介したことをお詫びします。
三月に入ってからの週のビデオを見たところ、
 
エリーが覚醒、流暢な日本語で「大人になって!」とエマを一喝(^_^)。
但し、マッサンが一馬に「生きて帰れ!」と言っている感動的な場面を、廊下からまた盗み聞きして落涙しているのはいただけません。
何より熊さんこと風間杜夫さまの名演、怪演に痺れました。出征する一馬を送る会の最後に「Auld Lang Syneオールド・ラング・ザイン」を歌い出したときは、予想通りの展開なのに、不覚にも涙がこぼれてしまいました。 
DSCF5698.jpg DSCF5700.jpg
アルコール性脳猫化症のせいでもありますが、
感涙を誘って目を曇らせる狙いにまんまと嵌ってしまいました。

悔しいので、戦争を起こさない国であることと、兵隊になることを拒める志願制の国であることを守り続けたいと思います(^o^) 
 
 
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大津波から4年 2015-03-11 [昔]

多くの方からアメメにお言葉をありがとうございますm(_ _)m
猫の誕生日にお祝いの言葉をいただけるなんて感激です。
ブログを始めてよかったです。
 
[今朝のアメメ、彼には珍しい寝相、廊下の猫炬燵の中にて] 
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10歳になることができたアメメくんのことを知ってもらいたくなって、
昨日、So-netのいろいろな方のブログをnice!巡回しました。
さっと拝見して押し逃げm(_ _)m

故郷(ふるさと)は違へど歩調合ひて友 ぼんぼちぼちぼち
ブログ「冷たい廊下」より 

歩調の合う方が既に訪れてくださっていたのだ、
ということがわかりましたm(_ _)m
一方で、釣りとかライフスタイルとかの、
興味深いブログと出会うこともできました。
またゆっくりおじゃまさせてください。

今朝はいちだんと厳しい冷え込み。
庭池は凍結、いかにも寒そうな雪がちらついています。
手が悴んで連日のストーブ点火、それでも寒い。
毎日が日曜日と豪語しているぼくには珍しく用事が立て込んだ日、
ブログ内容の予定を変更してアップしておきます。 


2011年3月11日
地震と大津波によって
亡くなった幾多の御魂よ
安らかに
 
地元 美咲町でも本日午後、一分半の黙祷を捧げます。

東日本大震災の大津波、決して未曾有ではなく忘れていただけ、明治以降でも3回大津波が襲来、特に1896年の明治三陸地震では二万六千人以上(2011.3.11大津波では約二万人)もの方が亡くなりました。吉村昭氏も1970年「海の壁 三陸沿岸大津波」に明記して警鐘を鳴らしていました。

高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に 家を建てるな

明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ、幾歳経るとも要心あれ。

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地元の方で、先祖の訓えを守って難を逃れた人もいれば、高を括って亡くなった人もいます。ご先祖様の「此処より下に家を建てるな」という石碑の遥か下に住宅街が広がっていました。 
 
 
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田宮二郎「白い巨塔」、インドの私刑と日本の箱男 2015-03-07 [昔]

知らぬ間に天気予報の降水確率が0%から60%に変わっている。
困りますねえ。と天気予報に文句を言っても仕方無いか。
夜中から雨、布団にアメメたちを残して早めに起床、
パソコンで久し振りのブログ巡回の旅へ。
左手にはどぶろくのコップ、
肴は、今冬ぼくを風邪から守ってくれた柚子マーマレード(^_^;)
昨日で中学の学年末テストが終わったので心置きなく飲める(=^ω^=)
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 [午後0時のアメメくん]
アメメくん、量を食べられるようになったのでホッとしているのですが、下の制御が不正確になっていて掃除が大変。トイレの前をペットシーツ・トイレにしました^^;。
 
ところで、連日の猪肉食を堪能、身体がすっかり獣臭くなった。
アメメが昨日も今日も同衾したがるのはそのせいかも。
ま、猫たちが喜んでいるのならいいや。
人間だけだ、命の営みに関係する匂いをすぐ「臭い」と言うのは。
芳香剤とかの匂いのほうが余程臭いぞ。

ところで、数日前から「白い巨塔」1978年版をDVDで視聴しています。
まだ前半で、財前五郎が浪速大学医学部第一外科教授に就任、己の診断を過信して患者の胃癌の肺への転移の疑いを却下し断層撮影の要請を無視しているところです。
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[田宮二郎と河原崎長一郎] 
京都でお世話になった方がDVDを先日贈ってくださいましたm(_ _)m。
あの田宮二郎主演で1978年6月3日~1979年1月6日に放映された全31回の伝説の傑作のほうです。近年の唐沢寿明(「ルーズヴェルト・ゲーム」では良い役者だなあと思った)版も人気みたいですが、ぼくにとって財前五郎は田宮二郎しかいません。
作品についてはすでに語り尽くされていると思いますので割愛します
手術シーンの殆どは、医師及び患者の許可を取って撮影された実際の映像とのこと。今では考えられません。

強烈に覚えているのは、京都の大学から休暇で帰省していた1978年12月28日昼過ぎに流れた「俳優の田宮二郎さんが自宅で・・・」というテレビのテロップです。このドラマを毎週見ていて大詰めの時期だったので、あの財前五郎が自殺!?と信じられませんでした。そのとき確か吉川英治の「三国志」を読んでいたはずです。

田宮二郎は京都の鴨沂(おうき)高校出身。あれっ、先日紹介した昭和二十八年の女子高生が恋人と共謀して言い寄る知人を撲殺した事件の女子高生H子の在籍校だぞ。しかも事件は田宮二郎が高3の6月のこと。同じ学校の女子が人を殺して新聞に6段で載った、これは十七歳の柴田吾郎(田宮二郎の本名)少年にも強烈な記憶となっていたはずです。
そして43歳の冬、猟銃用(クレー射撃用)の散弾銃で胸を撃ち抜くという壮絶な自殺、足の親指で銃爪を引いたそうです。存命ならば傘寿の年(;_;)。葬儀委員長は財前五郎の義父 財前又一役の曽我廼家明蝶さんが務めました。
なお、自殺の十ヶ月前に加入していた生命保険が、本来ならば支払われない期間なのに、特例で3億円支払われたとのこと。
墓所は京都鹿ケ谷の法然院にあるそうです。嗚呼、法然院のある東山の哲学の道、ときには京都の人と、ときには数年暮らした人と、多くはひとり歩いた青春の道でした。
 
  法然院 秋の紅葉の色にい出て
言はばや妹に わが恋ふらくを (ojioji18歳^_^;

キャストも佐々木庸平役以外(谷幹一さますみません、あくまで役としてです)はすべてハマり役、懐かしさのあまり俳優名を列挙させてください(^_^;) 
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[左から小沢栄太郎、田宮二郎、金子信雄、渡辺文雄、戸浦六宏]  
田宮二郎、
中村伸郎(東野英治郎よりもぴったり)、
山本學、
高橋長英(去年BSの大岡越前で再会、45年前の入院中に見ていた愛と死をみつめてのドラマ「若きいのちの日記」での青年役が最初の出会い)、
曾我廼家明蝶、
金子信雄(日本映画の宝(=^ω^=))、
加藤嘉(日本映画の良心)、
佐分利信、
小沢栄太郎、
河原崎長一郎、
堀内正美(純と愛で若村麻由美の夫になっていてびっくり)、
小松方正
戸浦六宏(好きでした)、
渡辺文雄、
米倉斉加年、
岡田英次、
清水章吾、
中島久之、
児玉清、
北村和夫(おしんの佐賀の義父、好い人)、
山田吾一、
家弓家正(ナレーションも)、
太地喜和子、
島田陽子、
生田悦子、
上村香子、
中村玉緒、
北林谷栄
まだまだいらっしゃいますが、主に視聴済みのところまでに登場した方です。

それまで裏番組「Gメン'75 」に喰われて13%程度だった視聴率が、田宮二郎自殺直後の12月30日に26%、最終回1月6日が31.4%と大幅にアップしたことで、プロデューサーの小林俊一氏は視聴者に対して憤慨するコメントを残したそうです。 
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[午後0時の爆睡アメメ] 
アメメの具合がわるいときと並行して見始めたので、よけいに命や死について考えさせられます。
このDVD、大切にします。

次は和久井映見さまと貫地谷しほりさまと...etc.(これも皆さんハマり役)「ちりとてちん」を久し振りに視ようかなあ。一昨年BSでも視たような、その前にDVDで視ているぞ、全然久し振りではありませんでした。

自死といえば、いつぞや紹介しました三浦哲郎氏の「鳥寄せ」にお寄せくださったコメントで、出題された年の共通一次受験生にあの笹井芳樹氏がいたことを知りました。「鳥寄せ」を読んでいたのに仕事場のすぐ近くで自死されたのはとても残念です。それとも、読んでいたからこそなさったのでしょうか。 
 
それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ
 
わがままではなく、ありのままに(^^)
都会の人も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
読んでくださってありがとうございますm(__)m
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 【付録 日本の「私刑」とインドの私刑】 
川崎中1殺害事件で逮捕された少年の1人舟橋龍一(実行犯18・一般メディア週刊新潮で確認済み) を同行して、昨日、事件現場の河川敷で現場検証が行われたそうです。少年法に守られた鬼畜少年を撮影されないように、警察は異様なガード。
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阿呆か。
殺された被害者の人権は消滅し、
殺した加害者の人権は守られる。
顔や名前がネットで晒されるだけで「私刑」と報道する。
変な仕組みを現代日本はつくったものです。
 
本当の私刑とは、
AFP=時事 3月6日(金)13時34分配信
事件が起きたのは、ナガランド州の商業中心地ディマプール(Dimapur)。同地ではこの日、女性への暴力に抗議する大規模デモが行われたが、参加した群衆がデモ後に約7キロ離れた拘置所まで行進。女性1人を複数回レイプした疑いで先月24日に逮捕・勾留されていた男を引きずり出した。群衆は拘置所の2つの門を倒して内部に押し入り、容疑者の男をとらえると市中心部の時計台の前まで引きずっていき、男を裸にして殴るなどの暴行を加え、死亡させた後、男の遺体を時計台に吊るしたという。
 
どうです、これが本来の私刑でしょう。
この後、群衆も暴行致死または殺人罪で逮捕されるならば、
インドの群衆、万歳\(=^ω^=)/ です。

警察にも気骨のあるやつはいないのか、舟橋龍一の箱男か簡易トイレのような囲いを取るんだ。
 
 

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