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久々の「言いたい放題」、キウイフルーツ240個! 2015-11-23 [好きな言葉や拙見]


気を揉ませていた大蒜の芽が今朝3本出現\(^o^)/
植えてから実にひと月半。土の中で大蒜は頑張っていたんだ。見えないだけ。残り30本も早く姿を見せてくれ。

アメメくん、今日は気を遣ってくれたのか、トイレの中に納めてくれた。
彼の自己治癒力を頼むのみ。
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猫コタツを捲ると、珍しく3頭が仲好く(微妙)(^^;) 
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アメメくんはアンモニャイトの化石化。
一方、食堂では、 
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ラックの三段目に生肉が(^^;)
ベッドやキャットステップやキャットハウスや、ノルくんの寛げる場所は多々あるのに、なぜこんな窮屈で邪魔になるところで寝るのだ。アトピーの皮膚を掻き毟る度に、下の瓶や缶に雲脂が(涙)

下の写真は前回の記事で紹介したキウイフルーツの収穫。 
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天然農園の周囲に植えられたキウイ、♂1本と♀3本の老木。
霜で傷む前に全部収穫したところ240個!
去年は強剪定されていたために40個あまり。今年は一桁多い。
上玉と並と傷物とに選別。
上玉、並玉は段ボールに収めて納屋で保存。年明けから食べる予定。
傷物は林檎と一緒に段ボールに入れて大きなビニル袋で密閉。追熟させて来月食べられる予定。 
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右)門先の落葉した枝に見慣れぬ実を発見。柿とは違うし、去年は生っていなかったような。調べると、カリン(マルメロ)のもよう。実物を初めて見ました。
 
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左)天然農園の畔の梅の木に垂れ下がる糸瓜(ヘチマ)。
何本か食べた残り。左のは既にタワシ化している。右の2本も放置。

右)同じく農園の外れに垂れ下がっていたゴーヤー。周りの葉が枯れたので発見できた。
今季最後のゴーヤー、放置予定。

今回の収穫たっぷりは、 
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赤蕪と白蕪。茎葉も漬け物に。
長い根が見えるでしょうか。売っている蕪には付いていません。
 
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左)赤蕪にも二種類。左は茎が赤くて、皮だけ赤いやつ。
右は茎は白くて、中まで赤いやつ。
 
右)四季なり苺。先週の長雨の影響で傷みとひどい虫食い。
 
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今春、菌を植え付けていた椎茸の原木(ホダ木)から可愛い椎茸が(*^^*)
本来は来秋から本格的に生えるのですが、菌が良く回ったのでしょう。
納屋の裏に放置管理(^^;)のため雑茸菌も広がっています。
 

みうめが土に還って暫くお休みしていた「言いたい放題」コーナー(=^ω^=)
(コメント返事と書き込みと区別がつかなくて混じっています)

ミサ「チクっとされると翌日、熱が出て身体がしんどくて死ぬかと思ったわ。ワクチンって病気に罹らせる拷問よ。これでインフルエンザワクチンみたいに気休め程度の代物だったら許さないわよ。打って報われる人は100人中5人程度って言うじゃない、そもそも中学生とかインフルエンザに罹っても全然平気やし」
エルさま「ワクチンで救われる命もあるのよ」とフォロー、さすがです。


ダイオキシン騒動は、ほんと、何だったのでしょうね。
全国の学校から焼却炉が無くなって、とても不便。
というか、ゴミ焼きする人の肩身が狭くなってしまいました(^_^;)
人為的温暖化論が外交や金儲けの話になっていることに腹が立っております。
温暖化云々とは関係なく、自然を大切にしたいものです。
そもそも、灼熱地獄にでもならない限り、地球温暖化は生き物にとってありがたいことかと。


ハマナスの実、お食べになったのですね、すごい。
どう見ても茄子に似ていないのにハマナスとはこれいかにだったのですが、
「浜梨ハマナシ」が東北弁で「ハマナス」に訛ったという由来に納得です。
やはり梨の味でしたか。それにしても、買い物帰りにハマナスを摘めるとは、
さすが北海道です(^_^)


鈴木宗男氏、公民権を近々回復されるのでしょうか。良かったです。
経済活性化のための公共投資の効果を理解しつつ、地元に見られる猪しか通らないような舗装道路を延々と山奥に建設したりというのは、却って乗数効果を下げるような気がします。地方が公共事業に依存して、自ら仕事をつくれなくなっている状況も見ます。まさに、公共事業が主要産業(^_^;)という、原発依存自治体と同じ構図に。
一方で、おっしゃるとおり必要なインフラ整備は公共事業の役割でしょうし、バランスが大切なのでしょうね。いろいろ勉強になります。


それまで取り立てて関心もなく、海の幸に恵まれた素朴な地方とくらいに思っていた南三陸町や陸前高田市(お醤油と酒蔵でたまたま知ってた町)や石巻や松島が波の塊に襲われすべてが飲み込まれる映像は強烈でした。野良の子のちゃとらんとふーちゃんを飼い始めたのも、仕事の引退を早めたのも、大津波がさせたとも言えます。
おっしゃるとおり、忘れ去っては絶対にいけないと思います。でも、実際は忘れることの繰り返しだったみたいで、3.11も、決して未曾有ではなく、吉村昭氏が1970年「海の壁 三陸沿岸大津波」、後に「三陸海岸大津波」(文春文庫)で、被災者の証言をまとめて警鐘を鳴らしていました。明治以降でも3回大津波が襲来、特に1896年の明治三陸地震では二万六千人以上(2011.3.11大津波では約二万人)もの方が亡くなりました。(以下、拙ブログ過去記事からです)
高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に 家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ、幾歳経るとも要心あれ。
先祖の訓えを守って難を逃れた人もいれば、高を括って亡くなった人もいます。ご先祖様の「此処より下に家を建てるな」という石碑の遥か下に住宅街が広がっていました。
今のぼくは、大津波(自然災害)を静かに受け入れる生き方もあって良いと思っております。交通事故死とかのほうが余程理不尽かと。


>日和見主義、たいして勉強しない、
>周りに歩調を合わせるだけ、
>真実を見ようとしない。
よくぞ書いてくださいました。
ぼくは不勉強で(正確には興味が無くて)記事の件、把握しておりません。が、子どもの話し合いレベルの、煽るだけのマスコミの論調にはうんざりして、新聞もテレビもやめた身として、こちらの記事に共感いたします。
自助>互助>公助がぼくの基本です。
国内のすべての助成金制度にも怒りを覚えつつ大反対です。
でも隠退した身とて、専ら体内のアルコール消毒に努めております。


必要とされないものは滅びればよいと考える者です。
違う仕事をして食っていけばよいだけです。
さいごは自給自足(^O^)Vがあります。
なのに、公明党よ、なぜ救う、救わなくても死にはしない。
現世御利益などあさましい。来世で救われればよいのです。
一人ひとりが工夫して生きられるだけの基盤のできている日本社会と理解しております。それを、タマ抜き、もとい、骨抜きにしようという悪法です。
というか、国民自身が自ら去勢されたペット生活を望んでいるような昨今。
勝手に好きにしろですが、関係ない人まで巻き込まないでくれ。
自立自助、独診自療を堅持したいものです。


子供の頃、父親が捕まえたマムシを捌くと腹から子が出てきました。が、ぼくはよう食べませんでした。また、道端のウロに親マムシと赤ちゃんマムシが何尾かいるのを見たことがあります。他の蛇は卵を産んでたのに、マムシだけ赤ちゃんを産むのが不思議でした。今回の写真は強烈でした。子供の頃は平気だったのに、今は蛇、特にマムシは駄目です。
踊り食い、骨はまだ軟らかいのでしょうか。(お返事「踊り食い、骨は軟らかいです。小魚のようでした」)
あと、マムシの子の料理の値段はどれくらいなのか気になります。(お返事「マムシの子の料理と親マムシの料理、そしてハブ酒など全部で、6000円です」)
貴重な写真をありがとうございます。 


年金、ぼくはサラリーマン時代と個人事業主時代が半々のため、それぞれの感覚の違いを一般人として経験しました。
厚生年金時代は、安月給から社会保険と共に痛むくらい天引きされて、初めは会社に盗られてるんちがうか(^_^;)と疑うくらい不承不承でした。基礎年金だけの人より老後が楽になるぞと気持よく納める気分にはなれず仕舞い。
後に、個人事業主となった途端、納付額が減り、これは助かる、ラッキーと束の間は喜び、それから、給付額を考えて愕然。基礎年金だけの人は、田舎で野菜とか自給するのが前提だなと理解。制度の発足時を考えれば妥当。逆に、厚生年金は、老後を都市で寄生生活もとい消費生活を送る人用のものだなと。その上で、余裕のあった時期に、小規模企業共済に加入して退職金代わりとしました。
今は、年寄りは土を耕して食材を自給しながら家畜やペットと過ごすのが日々是好日(=^・^=)との思い。


十五年程前にリストラされた直前の頃を思い出して、ぐいぐい読みました。いちいち思い当たることばかり。特に、非凡・凡庸論。当時すでに、現場力は地に堕ち、それを経営幹部も現場も自覚していなかった感。かと言って、大昔の松下やトヨタやいろんな神話がありますが、当時をあまり神格化するのも反対で、あの頃の末端社員さんたちの働き方が嫌で、今のかたちに半世紀かけて変えたのだと思います。経営側だけでなく、むしろ、国民の多くの思いによって。その根っこにあるのは、とにかく売り上げ、経済至上主義。但し、かつては、先憂後楽を厭わぬ気概を一般社員も持っていたのに、今や、目先の楽だけで国全体が動く朝三暮四社会。国家予算が象徴的。無い袖を振りまくり。これも歴史の必然なのでしょう。松下幸之助さまから現代の空洞化企業までは一本の太い線で繋がっていると感じます。学校も職場も社会も、その構成員たる国民の多くが、目先の嫌なことは人生の悪とばかりにすべて否定して、楽なこと便利なことを善とした社会づくりを進めた結果、必然的に起きた状況かなと。ならば、戦中や敗戦直後のような苦労をちがうかたちで体験して自覚するしか無い気がしています。人生は無菌室やエアコンの利いたマンションの室ではなくて、人生はアドベンチャー(^_^)と明るく生きていきたいものです(^O^)


美味そうな野菜たちですね。
特に、茄子がぼく好みの色艶。黒光りがしています。形を見ると庄屋大長でしょうか。
メロン、ちゃんと出来てるようにみえるのですが。あまり甘くないのでしょうか。追熟させて軟らかくしてアボカドのつもりで食べるとか(^_^;)
骨折胡瓜もそろそろですか。わが家も、普通の胡瓜は終了しました。遅くに植えつけた大和三尺だけ現役。秋用に、定植したてのが4本(確か、霜知らず胡瓜が1本とあとは大和三尺をひつこく^^;)あります。
トマト、こちらでも去年よりずいぶん早く終了です。連作障害なのかなあとも思ったのですが、年によって違うのかなあ。
茄子とシシトウは去年は初霜まで頑張っていたのですが、今年はそこまでの元気は無さそうです。
旬産旬消がいちばんと強がっているのですが、「たまには肉喰いてー」、右に?左に?同じです(^_^;)


今ある制度で何とかなるのにこんな胡散臭いものに参加してはならないと直感。
他のいろいろなことにおいても、無いものを嘆かずあるものを活かそうで対処すべきかと。心構えの問題です。
無い袖は振れぬ、分際をわきまえよう、です。
議員や役人がギャンブラーになっていて、血税を泡銭にしてしまったこの数十年。
たぶんもう取り返しはつかないだろうから、
後は野となれ山となれ、です(^O^)


献血50回!?
すごい、まさに趣味ですね。
納税よりも尊い社会貢献かと。
30回のときの記念品が表札というのが謎。
フルネームの表札なのでしょうか。
四十年くらい前の献血お礼は血の滴?の形のペンダントで、母親からもらったことがあります。それを付けていると、交通事故とかで優先的に輸血してもらえると聞いたのですが、真偽不明。アクセサリーとして気に入ってたのに、学生時代、銭湯で無くしてしまい、ものすごく落ち込みました。
ぼく自身は献血ってやったことがありません。
何か考えがあるわけではなくて、機会が無かっただけというか、痛い目をするのが怖くて(^_^;)


時節外れのコメントもありますが、そのときどきの脳内の動的平衡が揺れながら保たれている様が見えてひとり面白がっております。 

わがままではなく、ありのままに
都市の方も食材の自給を楽しみましょう
読んでくださってありがとうございます(=^・^=)
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