燃えた一日(^o^)v、美咲町物産センター 2014-10-18 [日々の出来事]
炎のように燃えた一日、朝7時半から午後3時まで動き続け。
間で15分の焼きそば昼食のみ。休憩無し。
へとへとで帰宅。発泡酒で一息ついたところ。
先ず、亀甲の美咲町物産センターに実家の農産物(米、馬鈴薯、栗)を出荷する手伝いに。
相変わらず野菜の値段が安過ぎ。
袋に一杯のピーマンが100円。馬鈴薯も900g100円のラベル。
栗が100円。大根の間引きがこんなに入って80円。玉葱も3〜4個100円。
白菜90円。次郎柿3個100円。
唯一、妥当と思われる価格は黒豆の枝豆300円のみ。
先日、ぼくの拾った栗は、幾つかの袋に詰められて310g200円の値札が付いて並べられました(;_;)。
お金に換えるよりも、栗のまま茹でたり焼いたり勝栗にしたり甘露煮にしたりして食べればよいのに。そのほうが余程ご馳走なのに。代えがたい喜びなのに。
お客さんへの饗しも、田舎では畑や山で採れたものだけを堂々と出せばよいのに。栗の自家製渋皮煮をお正月のお客さんに出せば最高のご馳走なのに。来訪者には、わざわざ缶コーヒーとか買い込まないで、梅シロップや生姜湯を出せばよいのに。
帰宅後、天然農園で畑の手入れ。
落花生をひと株だけ掘って収穫。
今日は192殻(^^)v、前回よりも多い。
早速、塩茹でにしていると、
電話が鳴って、実家のゴミの処分を頼まれた。
落花生の塩茹でを手土産に実家に惨状、もとい参上。
ぼくの方針は、
ゴミを極力出さない生活を、
自分で出したゴミは自分で始末する、
です。
そして、Reduce、Reuseの2Rです。(3R反対!)
ゆえに、燃えるものは行政に頼まず、自分で燃やします。
前回は納屋や物置など母屋以外の不要品を焼いたが、今日はいよいよ母屋の不要品に着手。老母がついに断捨離に手を染めたのです。半年かかりました。
猫車で、数十年来の不要品(布団や大量の衣類も!)を広場に運んで点火。
布団は燃えにくいと聞いていたが、意外によく燃える。真綿ではないのでしょう。
太古からヒトを昂らせた炎・焔ホノオ・ホムラ。
さあ、今日も大量のゴミを急速酸化反応させて地球に還元しなくては。
いつもの科白、
放火魔の人は、人に迷惑をかけぬよう、ゴミ焼きのお仕事をして逝きましょう。
大量の煙が発生すると、陽光が遮られて、こんなに暗くなります。
御嶽山の水蒸気爆発のときも、辺りが真っ暗になったというのが頷けます。
猫車で何度も往復。
ゴミの写真は、実家に気を遣って撮らないでおきました。
田舎は仕舞い込める場所があるため捨てないので、衣類とか50年以上前の物も普通に残している。着ることは永遠にないのに。
雑誌や本の中に、こんなけしからん書籍が。
勤勉で朴訥な農民として一生を終えたと思っていた亡父が、斯様な本を読んでいたとは。1996年発行でした。バブルが終焉して冬の時代とか言われていた頃に何を血迷ったのでしょう。当時、株に手を出していたとしたら、長期間の塩漬け?になっていたのでは。真相は知りません。
こんな本はさっさと火にく(焼)べました。
皆さんも、「蕪は食っても株食うな」で、欲に釣られてゼロサム・ゲームの投資に夢を抱かないように。損する人たちがいるから儲ける人がいる。時間の無い人、銀行や証券会社任せの人、自分で考えて判断する力に劣る人(要するに去勢された現代日本人)は恰好の鴨。
逆に言えば、洞察力に優れ時間のある人は必勝です。が、こんなことに人生の時間を費やすことを時間の浪費と言いますm(__)m。
合間に、実家周辺の零余子ムカゴ採りや栗拾いにも勤しんだ。
零余子は何ヶ所か回って、今まででいちばん大量。
実家と半分ずつに分けることに。零余子ご飯を炊くとのこと。
栗は300個あまり。秋晴れの下、小粒の山栗が100個と、渋皮がぽろりと剥がれる「ぽろたん」が200個あまり。
連日の山の幸に感謝。
午後3時、大量のゴミは灰燼に帰せり。
ぼやきながらも、充実した秋の一日でしたm(_ _)m