食育、石塚左玄、村井弦斎 2014-09-26 [好きな言葉や拙見]
寝起きのワイン、至福の香り。
未だ見ぬ覚醒剤のように即効、
先ず頭がふわーっと多幸感に、
次に身体がぽかぽかしてきて、動くのが面倒に、
怒りも心配事も義務感も霧消して極楽気分。
このまま一日が経つのなら本当に楽園。
こりゃ酒造りを解禁したほうが統治しやすいのでは。
年寄りの多くが酔生のうちに過ごせば、
世の中、恙無く回るのでは。
儂のような暴走老人を予防できる。
安楽死の自由化も大切(人の生き死にを法律で規制する発想がぼくには理解不能、よくぞ皆さん納得しておられる。禁ずるから希少性の法則が働いて、真に必要としない人まで参加してしまう)だが、
死ぬよりか、緩和医療の薬漬けのような状態で余生を過ごすのも有りなのでは。
などと夢見心地で、
間引き人蔘をぽりぽりと囓った途端に真人間^^;に覚醒。
肉体も精神も、躰に取り入れた物によってつくられることを実感。
酒を飲めば酔生夢死に。
生の人蔘を囓れば今日の石原歯科の予約を思い出せる。
食育、身土不二、地産地消??の大切さよ。
食育という言葉は、石塚左玄の造語で、1896年「化学的食養長寿論」の中で「体育智育才育は即ち食育なり」と説いたのが最初。
[村井弦斎]
1903年、報知新聞編集長 村井弦斎が傑作「食道楽」(くいどうらく)の中で「小児には德育よりも、智育よりも、躰育よりも、食育が先き。躰育、德育の根元も食育にある。」と記述、食育が広く知られるようになった。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」の文士「室井幸斎」は村井弦斎へのオマージュから誕生したという。
弦斎は「食道楽」の印税で平塚に広大な農場をつくり、当時珍しかった苺やアスパラガスの栽培まで行っていたそう。玉村豊男氏が思い浮かびます。
1921年(大正10年)には雑誌「婦人世界」の企画?で青梅の御嶽山中で竪穴住居をつくり「山中穴居生活」を始める。天然食と称して自然界にあるものだけを採取、沢蟹や小鳥、蝗や芋虫まで捕って食べたとのこと。さらに、排便の回数、重さ、固さ、形状までも毎回記録。(『「食道楽」の人村井弦斎』黒岩比佐子による)
当時の新聞も奇人変人扱いで報道。
弦斎このとき既に57歳。今のぼくとほぼ同じ、ちなみに誕生日まで同じだったとは。調べるうちに親しみが湧いてきて肖りたくなりました。
という次第で、食べ物にこだわりが芽生えてまいった次第。
かつては、食事にかける手間と時間が惜しくて栄養剤だけで済ませたいと言っていたのが嘘のようです。
石原歯科の帰途、ハッピーマートに寄って、
100g198円の岩手産干しアミ(たぶんオキアミ)を発見。
破格の安値(だと思う)。二袋購入。
保存が利いて柔らかく食べられるにはオリーブ・オイル漬けが良さそう。
大蒜も潰して入れた。
三・四日後から使うと良いとあったが、早速、酒肴に。
旨い。安い。安心して食べられる。
今日の廊下にゃんズ。
昼間は暑いときもあったが、猫たちにはいちばん快い気候。
ふーちゃんおとなしく昼寝。こういう日は夜中に運動会?
アメメ御大もいつもの場所で。
子どものぬいぐるみと一緒で、ぼろぼろの寝床なのにご執心。
新しい段ボールにクッションを入れてやっても馴染まず。
そして、猫炬燵を捲ると、
保護色の大猫が、股間が蒸れるのかお手入れ中。
ちゃとらん「来春まで此処はぼくの専用室だよ」
ずっと籠っているなんて、ペットの役割放棄では。