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死/葬式も墓も不要ひろさちや氏とSTAP狂奏曲(;_;) 2014-08-02 [好きな言葉や拙見]

小便に目覚めると心地良い雨音、
1週間振りだ。
晴れの国おかやま、
日照り続きで、天然農園もお手上げ、
余所の田んぼでは罅割れを見るほどだったので、
まさに旱天の慈雨。

と喜んでいたら、
台風なのか。
畑に出られそうにないので、今朝の収穫たっぷりは、
昨日、実家からもらった白い胡瓜ホワイティを。
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ぼくは初めて見ました。スーパーとかには並んでいるのでしょうか。

猛暑のとき仕込んでいたどぶろくが乳酸発酵なのか、酸っぱくなってしまった。好事魔多し、酔生夢死の薬にするよりも、健康飲料として寝起きにグイッ、並びに、肉魚料理に最強の米麹として利用することに。
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ところで、餅米どぶろくの1.5Lペットボトルを実兄に進呈していたところ、昨夕、グレードアップして返戻されました。蜂蜜で希釈して酵母を増殖?、酒精度数が飛躍的にアップ。ぼくが醸造したときは4〜5度程度だったのが20度近くの強烈などぶろくに。

うーん、専門家の手にかかると、いともあっさり市販品を凌駕されてしまう。いろんな分野で同じようなことがあるのでしょうね。

が、大資本が市場を制御しているため、市井のキラリと光る取り組みは知る人ぞ知るのみというのが江戸時代以来幾多有りけむ。せめて、政治・行政が介入して規制することだけは罷めにしましょう。そして、有能な心ある人たちは、悪法糞食らえで己のよしなに生きてまいりましょう(^O^)

一方で、悲しいけれど、自分の考え(願い)を改めたのがSTAP細胞について。
不正を暴く報道が続くなか、何度か、この研究の意義や可能性について擁護したのですが、不正が画像の差し替えレベルではなくて、別のES細胞からのキメラマウスをSTAP細胞からのものだと偽っていた(事故なのか恣意なのかは不明)ことが遺伝子解析から判明するに及び、論文自体が成立せず、STAP細胞は未だ存在せず。という事態に至っていることを今頃知りました。
テレビ、新聞を絶っているから見えることもあれば、今回のように取り残されることもあるわけです。
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若山教授は愛妻・恐妻家で、困惑していたとか。

悔しいのでいろいろ調べてみると、小保方晴子さんの報道で有名になった神戸の理化学研究所、「小保方晴子さん乱倫な研究室」と題して、ハーバード大バカンティ教授、さらにはかつての上司だった若山照彦山梨大教授、理研副センター長の笹井芳樹氏らにすり寄ったエピソードが週刊文春に特集されていたことも知りました。

「ES細胞の第一人者」として知られる笹井芳樹副センター長氏が小保方氏のユニットリーダー就任を積極的に推薦し、小保方氏を「僕のシンデレラ」と呼んでいたとか。
ある全国紙の遊軍デスクは「ピンクでムーミンの絵がある研究室で、若いカワイイ女性が割烹着を着て研究する。本来は研究を客観的に見るという目を持っているつもりでも、いわゆる色仕掛けによる目くらましを食らったんだろうな」と語ったそうです。

結局、男性陣の色欲の狂奏曲だったのでしょうか。小保方さんは、毒婦というよりも、小中学の女子生徒に見られる、先生の覚え目出度くごろにゃんして5をもらう雌猫だったのでしょうか。
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写真を見る限り、お二人とも科学者の顔というよりも(;_;)

たぶん笹井芳樹理研副センター長が、ノーベル生理学・医学賞受賞の山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長への対抗心・嫉妬心だけではなく、色香に迷って正常な判断が出来なくなっていた時期があったのでしょう。彼は既に行政を牛耳り理研に金を自由に引っ張って来られる敏腕マネージャー、そこに彼女のような女性が現れた。女性セブンによれば彼が自分で、僕はケビン・コスナーなんだよ、と言っていたとか。
橋本龍太郎元総理ですら現職時代ハニートラップ(某議員の手記からですが、目を見張るような美人、魅力的な女性が通訳につき、訳した言葉を耳元で囁くように話してきて体中が痺れたそうです。部屋に来るのを拒んで難を逃れたとあります。とにかく魅力的な女性が宛がわれるそうです、どれくらい魅力的かというと、家族も地位も捨ててもいいと思うくらいそしてその行為は盗撮されていて、本人が反中的な政策をした場合脅されます)に嵌る欲望肯定社会ですもの。木堂犬養毅先生と並ぶ岡山県出身の首相だったのに晩節を汚されてしまいました。

ふーちゃん「動物病院で去勢手術をしてもらえばよかったのに、たった1万円よ。わたし、避妊手術後は発情も収まってとても快適。色欲より食欲よ」
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理化学研究所は独立行政法人、所謂、独法、税金を多額投入して運営されていますが、STAP細胞論文発表の時期に、特定国立研究開発法人への格上げが取り沙汰されたと言うではないですか。そうなると研究費や引き抜き費を自由に使えるようになる、以上を総合的に考えると、1月に税金を使って理研で派手に行われたあのSTAP細胞プレゼンは壮大なる詐欺というか数百億円のスキャンダルだったのでしょうか。日本、いや、世界中がまんまと騙された。iPS騒動の森口尚史氏を思い出します。

こういう事実を教育現場できちんと伝えたらどうでしょう。綺麗事じゃあなくて、分野のトップで活躍している人たちも所詮、色即是空空即是色の内に、と。

悲しいのは、このスキャンダルで、STAP刺激惹起性多能性獲得細胞の可能性までが否定されること。千島学説や火事場の馬鹿力の存在を信じるぼくとしては、STAP細胞生成は大いに有り得ると直観しています。
研究者の方々、想定出来得る限りの異なる刺激を細胞に与えて万能細胞に変異する根性ある細胞を見つけてください。
きっといます。

ありゃ、なぜSTAP細胞の話に。
今回、本当に紹介したかったのは、
お釈迦様も草葉の陰で泣いている仏教の話でした。

仏教学者のひろさちや氏の日刊ゲンダイ7/31での発言。
(以下抜粋)
葬式は死者の仕事ではありません。遺族が自由裁量で行うものです。仏教の経典によると、その遺族が望まなければ葬式をやらなくていいと解釈できます。葬式をやらなくてもいいということは、お釈迦様の“お墨つき”なのです。
でも、日本中のお寺で葬式が? 
あれは、お坊さんや葬儀屋の営業努力のたまもので、仏教の教えではありません。
仏教発祥の地インドでは、火葬が基本で、焼かれた遺骨はすべて川に流されます。遺骨を墓に保管することはありません。
なぜかというと、死者は、死後49日でどこかの世界に生まれ変わるという輪廻の考え方が深くかかわっているのです。
だから、墓も不要で、戒名もいりません。
戒名は仏門に入った証し。サラリーマンの方なら、仏門とは無関係ですから、俗名のままでいいのです。同じ理由で位牌も必要ありません。
では、埋葬しない遺骨はどうするか。散骨です。91年には、当時の厚生省と法務省が『葬送のための祭祀として節度をもって行われる限り(散骨は)遺骨遺棄罪に該当しない』と発表しました。『節度』とは、粉末状に砕いた遺骨を、周りの迷惑にならない場所にまくという配慮。それを守れば、遺族一人一人が、故人の骨を少しずつ分けて、思い思いの場所に散骨するのもいい。墓がなくても、遺族が故人を思い出したときに、その都度手を合わせればいいのです。
何も考えずに旅立つのが気軽でいいのだ。
---------------------------------------------------(抜粋以上)
全く同感です。

あと、坊主から税金を取ってもらいたいと思っていたのですが、
きちんと調べてみると、
宗教法人課税論を感情的に主張するのは間違いで、
私利私欲を肥やしている不心得坊主の具体的な行状を糾弾して晒すのが正しい対処だとわかりました。

憲法第二十条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

戦前に神道を優先した余り、仏教がないがしろにされた反省から、全ての宗教を公平に扱い、国や自治体が関与してはならないという条文を作ったわけです。

暫くは、戦前とのバランスが調整されて、不満の吸収効果があったと思いますが、世代が替わり、今は宗教法人非課税に対して不公平感を抱いている人が多くなりました。
お布施で私服を肥やしたり、脱税協力者となったり、後ろ指を指されるような坊主が増えたからでしょう。

どうすればよいか。
非課税を維持しつつ、税務署の監視下に置くのが良いでしょう。非課税のお布施で私腹を肥やしている坊主をチェックするために。
そして、宗教法人がちゃんと宗教活動を誠実に行っていないときに、それを咎める言論を一般人がもっと具体的に発信しましょう。

個人的には、神道の本来の教えがもっともっと理解されて、外来の仏教が形式化・形骸化しすぎてしまった今日、再び心身を律する思想のひとつとならんことを。
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参考までに ひろさちや氏の 死 を考える文章を。
ハマコウさまのブログ「いま ここ 浜松」で知り、ご了解の下、紹介します。

「ほどほど人生論」ひろさちや  中日新聞朝刊 2003.1.26
「生きる意味見えてくる - 死 考える時間持ちたい -」

わたしは、″忙しい″といった言葉が嫌いです。
日本では、「偉い人は忙しい」といった社会通念があるようで、対面のとき、
「先生、お忙しいようですね」と言われることがよくあります。
そんなとき、へそまがりのわたしは、
「いえ、忙しくありません。ただ、スケジュールが過密なだけなんです」
と応ずることにしています。
たいていは、相手はきょとんとされます。

じつは、″忙″という字がよくないのです。
これは、「心を亡くす」であって、これを縦に書くと″忘″になります。
わたしはスケジュールが過密であっても、心を亡くしてはいませんよ…
と言いたいのです。そう説明すると、相手の人は納得してくれます。

それはそうとして、わたしたち現代日本人は、あまりにも忙しい毎日を送っている
のではないでしょうか。
仕事のためにあくせくと忙しく働き、仕事から解放されて自由に使える時間である
余暇をも、あくせくと忙しく消費しようとしています。
そうして、忙しくしているうちに、われわれは、人生にとって何が大事なことか、
を忘れてしまったのではないでしょうか。

いや、ひょっとすれば、これは反対かもしれません。
わたしたちは、人生にとって何が大事なことかを忘れるために、毎日を忙しくして
いるのかもしれません。
つまり、わたしたちは一生懸命に忙しく働いているうちに、人生にとっての大事な
ものを忘れてしまい、こんどは、忘れてしまったものを思い出すのが怖くて、それを
思い出さないようにするために、毎日を忙しくしているのです。
そんな悪循環になっているのではありませんか。

ところで、人生にとって大事なものとは何でしょうか?
わたしは、それは、死だと思います。
人間は死なねばならない存在です。

だが、現代日本人は、この死を忌まわしいものと考え、死を遠ざけようとします。
しかし、死を遠ざけることなど、所詮不可能です。そこで、われわれは死を忘れよ
うとするのです。そのために、あくせく忙しい毎日を過ごしています。
けれども、わたしたちはやがていつかは死ぬのです。
その死を忌まわしいものとしていたのでは、自分が死ぬときが惨めになってしまう。
また、死に対する不安がなくなりません。

本当は、死というものは忌まわしいものでも、惨めなものでもないのです。わたし
たちにとって大事なものなんです。
その死を大事なものにするためには、わたしたちは普段、死について考えるべきで
す。

名残惜しく思っても、やがてわたしたちはこの世から消え去って行くのだと思った
とき、わたしたちに人生の意味が見えてくるのだと思います。
そして同時に死に対する不安がなくなるでしょう。
それには忙しくしていてはだめです。
もう少しゆったりとしましょうよ。
それがわたしからの提案です。
---------------------------------------------------以上
兼好法師も「徒然草」にて同様のことを。
拙ブログの左上にも掲示しておりますとおり、ぼくも全く同じ考えです。

どの宗教にも根本には智慧があると思います。年月とともに形式化・形骸化し腐った澱が出てきたときに、その宗教を否定するのではなく、現状を否定して根本に帰ればよいだけだと思います。
神道も然りです。戦後、教育現場では全否定された感があるのが残念でたまりません。田舎の人たちは、隠れキリシタンみたいに神道を守るのではなくて、子どもたちが花壇で、運動場で、教室で、明るく神様を拝めるように先生を導きましょうよ。先生方は、実は、なんにもご存じないまま、指示通りにされてる方が殆どです。

宗教が衰退する一方で、人類史上初めての長命時代を迎えた日本、死の受け容れ方も人類史上最多様になるのでしょうか。
DSCF0702.jpg
アメメ 「皆んな、千の風になって旅立つ、それを神になると言うんだぞ」

物理的にも、そのとおりだね。


それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

読んでくださってありがとうございます(=^ω^=)
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NO NAME

 居酒屋に立ち寄るごとく コメ訪問 (拙句)
お墓の話はおもしろいです。
1 永代供養はありえない、幻想です。
 有名な東京・青山墓地でも、お参りに来る人の絶える墓が続出します。
何度も縁者を調べ、よびかけて、出てこなければ、何年かの経過措置を経て無縁仏に組み入れます。その後、再度その墓地を売りに出します。(二重売りで丸儲け!)
 永代という単位なら寺も絶え、墓地管理会社も絶えろ可能性大ですね。
2 千の風にのっては流行ったけど・・流行っただけ。
 ♪ 私のお墓の前で泣かないでください
   そこに私はいません
 この歌が出た時、墓苑業者が怒ったそうです。墓の意味がなくなる、営業妨害だと。しかしその後、墓造りが衰退したとは聞かない。
 やはり人間は、聞けども聞こえず、見れども見えず。自分の聞きたいことだけを聞いているんでしょうね。
 わたしは「自分のお墓は無用です」と常々いってますが、家族・親族を説得する力はありません。一笑に付されています。
 
 死を悟った象は、ただ一匹で深いジャングルに入って行くという。死に際を見られたくないから。カッコいいなあ。
 わたしもそうしたいが、深い山に入っていくには、その頃、足腰が立たないのでないかと・・
仮に足腰が丈夫でも、深い山の入り口まではタクシーで行かねば・・
そうするとタクシーの運転手が、怪しんで警察に通報するかも・・
by NO NAME (2014-08-02 10:54) 

リチャード

名前忘れました。
リチャード ボウキャクです。

by リチャード (2014-08-02 10:58) 

ojioji

(^^)ボウキャクさま、いらっしゃいませ、名告られずともお顔でわかりましたよ、さすれば文は人なりか。
飼い猫も死ぬ前は見つからない場所に消えてゆきます、
が、室内飼いだと見つからない場所が無い。
不憫です。

>家族・親族を説得する力はありません
自分も同様です。後のことは、残された方の気の済むように任せるでよいのでしょう。

猫を5頭とも見送ってやりたいけど、
どうなることやらです。

格調高かった^^;ブログが居酒屋になってまいりましたか。
by ojioji (2014-08-02 12:07) 

ちゅんちゅんちゅん

こんにちは!
ご訪問&nice!をありがとうございました。
by ちゅんちゅんちゅん (2014-08-02 17:32) 

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