生老病死は自然、早川一光医師、人蔘間引き 2014-09-25 [好きな言葉や拙見]
2日間カレーメニュー(^_^)v
全然飽きない。
今日の収穫たっぷりは掟破りの戴き物。
実家の老母がインターネットが見られなくなったとのことで、レスキューに。
ぼくとて素人なれど、パソコン使用歴26年、
音響カプラでNIFTY-Serveに繋いでいた時代からの通信歴、
勘(^_^;)で幾多の障害を凌いできました。
ということで、トラブルは1分以内に解決(^o^)v。
代わりにというか、目の前で抜いてくれた大根と大量の間引きたての人蔘を実兄から戴きました。大根と同じボウルの赤い実は棗ナツメ。
出向いて良かった。
ところで、人蔘間引き菜、こんなにも、どうやって食べればよいのでしょう。
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門(カド=前庭)の雑草に芝生の役割をさせようと、除去しないで短く毟るようにしたところ、だいぶ良い感じに。メヒシバ、カヤツリグサ、クサネム、オオバコ、スベリヒユ、イヌビユ、ヒメジョオン、ジシバリ、いろいろな雑草が小型化して、ぼくとしては満足。除草剤を使う場合もあるみたいですが、土や砂地が広がっているよりも、雑草の緑のほうが気持ち良い。履物も汚れにくい。
かつて住んでいた洛西ニュータウンなんて、元は竹藪なのにアスファルトとコンクリートで地面を覆ってしまって、或る小学校(竹の里)の界隈なんて、土の場所が運動場だけ。子どもが可哀想です。ゆとり教育云々と言われてきましたが、学校教育のせいなどではなくて、わたしたち大人がつくった都市化社会のせい。
今に始まったことではなく、神戸小1女児遺棄事件の容疑者 君野康弘容疑者(47)の世代から既に。田中角栄の日本列島改造論とやらで、国土を、自然を壊しまくったなかで、薔薇色の夢・幻想を見せられて子ども時代を過ごした世代です。ぼくの世代は、高度経済成長以前・以後の両方を幼い目で見ているので冷めているところも。もっと大先輩方は、物質的にあまりに貧しい(絶対貧乏)時代を過ごしたために物欲の充足即幸福で突き進まれたのはやむを得なかったと理解しております。
閑話休題、
なぜ自然(人の意識の外にある、意の儘にならぬ世界)をそんなに排除したいのでしょう。病気や老いや死という自然の摂理をなぜ日常から排除するのでしょう。
出産(誕生)すら病院という非日常の場で行われてしまっています。
家で生まれて家で死ぬ、それがいちばんだと思います。
老いも、わらじ医者早川一光さまが仰っているとおり、ありがたい天の配剤。
耳が遠くなれば悪口を聞かなくて暮らせる、
目が見えにくくなれば人の嫌なところを見なくて済む。
老いは円熟。
[便所の掲示物]
早川一光医師のことは、30年あまり前だったか、大伯母(伯祖母)の愛読書「わらじ医者」の本で知りました。「自分の体は自分でまもろう」を唱え、住民主体の地域医療に専念される姿勢に共感。その後、新聞のコラムで再会して、懐かしさと内容に惹かれて切り抜きを便所に^^;貼り続けております。今日の記事を書くのに検索、ご存命で卆寿を迎えられたことを知り嬉しさで一杯です。
ブログを書いていると、世の中を顧みて自分を省みることができます。
飲んで管を巻くよりも有意義かも知れません。
アメメ御大は、顔つき何とも味がありいいですね~。
by cooper (2014-09-26 08:08)
cooperさま、アメメに励ましの気を戴きありがとうございます。よくよく伝えておきます。
by ojioji (2014-09-26 18:04)