SSブログ

大根飯とおしん、「田んぼと遊ぶ」郷愁 2015-02-08 [昔]

大根飯が美味い(^O^)
DSCF5202.jpg 
 昨夜の鶏鍋(白菜、葱、人参)の残り汁に賽の目切りにした大根と飯の残りを入れて雑炊にし、さいごに豆腐を小さく賽の目切りして投入、これが美味いの何の。
 
NHK「おしん」では大根飯が貧しい東北の農村の食事の象徴のように描かれていたが、
現代日本では実に健康的なメニューだと思う。
おしんの親は貧しいことを愚痴るだけではなく、もっと生活改善の工夫をすればよかったのに。
泉ピン子は大根飯に川で獲った魚の干物の身をほぐして入れたり、米が乏しければ野菜物をもっとたくさん栽培したり、伊東四朗は罠を仕掛けて鳥を捕ったり、米酒以外のお酒を醸造する工夫をしなきゃあ。楽しいぞ。
橋田壽賀子女史における明治の農村観が歪んでいたのでしょう。野良仕事は肉体的にはしんどくても、精神的ストレスは満員電車で通勤する現代サラリーマンの万分の1です。また、しんどくない程度に手を抜く農民も大勢いたはずです、今の会社員と同じく。壽賀子女史は人口の過半数を占める農民を悲惨に不幸に描きすぎました。それを信じて制作したNHKも罪つくりでした。あの番組でますます農業人口が減少しました(^O^)
 
今日の収穫たっぷりも、また桜島大根^_^; 
DSCF5201.jpg
畑にまだまだあります。
 
んっ、ガラス障子に何やら怪しい影が。 
DSCF5203.jpg
 忍者?それとも泥棒?
 いつぞやの猫クライマー遊びを思い出して、
今回はマタタビ木天蓼(訂正 キウイです、なぜマタタビと書いたか不明、脳猫化症進行中m(_ _)m)の小枝を使ってみました。
DSCF5204.jpg DSCF5205.jpg
 鴨居(と言っているのですが正確には長押ナゲシ? 鴨居と来れば鴨居の大将堤真一=鳥井信治郎「やってみなはれ」(^^))に掛けたマタタビ木天蓼(訂正 キウイです)の小枝にアプローチするちゃとらん。続きは後日m(_ _)m
 

 
 今年なってから和室の赤外線炬燵で寝ている。布団を敷いたり畳んだりの毎日で、初めは面倒くさかったが、この頃は同じ部屋が寝室、居間と一日で変貌する様子に、和風の暮らしも良いなあと思えるようになった。

畳に寝る習慣は数十年振り、京都に出てきた学生時代以来、いや、実家にいた頃から父親手づくりのベッドに寝ていたぞ。たぶん小学校高学年か中1くらいのことか。
 
亡父は昔の田舎人で、何でも自分で作る流儀。家畜小屋はもとより、買ってくれと私がねだった卓球台から、とうとう家族の新居まで(頼んでいた大工さんの仕事を勝手に進めて)手掛けてしまいました。
 
そんな父の作った二段ベッド、材料の板材、角材に鉋を掛けるところから始めて、ホゾ切り、ホゾ穴まで全部手作業でした。組み立てるのをわくわくしながら見ていたのを思い出します。

当時の父の年齢が四十過ぎ、それを大きく上回っている今の私の如何に無力なことか。ホゾのひとつも切れません。切ろうと思えば切れるけれど、木工に取りかかろうとするマメさがありません。せいぜい細い丸太を挽き切るくらいです。人類の文明が進むにつれて個体である人間は退化する、わが身で実感しております。

その代わり、人生の楽しみ方では進化しているぞと気を取り直すことにした。
 
DSCF4944.jpg
 ふーちゃん「何を高等遊民を気取っているの。そういうのを極楽蜻蛉って言うのよ」

追伸
記事を書きながら子どもの頃を思い出した後で、以前紹介したブログ「田んぼと遊ぶ」を訪れたところ、冬場の田んぼの懐かしいお話に出会えました。うしんが(牛に牽かせる犁=スキ)で荒起し(天地返し)された田んぼの風景、まさに五十年前の生家の田んぼと同じです。
短編小説「鳥寄せ」に影響されて、幼い日の郷愁を引き寄せているのでしょうか。
都市部の読者の方の目に触れることを願って紹介させていただきました。 
 
それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ
 
わがままではなく、ありのままに(^^)
都会の人も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
読んでくださってありがとうございますm(__)m
後日に読んでくださった方も応援のクリックをよろしくです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 



nice!(23)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

君よ憤怒の河を渉れ、赤外線ちゃとらん^^; 2014-12-12 [昔]

「君よ憤怒(フンド)の河を渉れ」をYouTube全画面で観た。
1976年、大学入学の年の思い出の映画。二時間半の長尺。
中国で文革後初めて公開された外国映画としても有名。
NHK「天下御免」のくれないさん以来のファンだった中野良子を見るために、田舎から京都に出て初めて喫茶店とやらを知ったぼくは、確か新京極にあった映画館に出かけた。そして、1979年にこの映画を観た中国人と同じくカルチャー・ショックを受けた。
君よ憤怒の河を渉れポスター.jpg
懐かしいシーンの数々。
中野良子を襲うどう見ても着ぐるみの熊を、撃って救おうとする高倉健検事。
健さんを激流に落とした熊は、なぜかもう中野良子を襲わず見逃す。
牧場主で北海道知事選に立候補予定の大滝秀治167cmの若い頃のジャンパーが長身180cmの高倉健にフィットしている。
馬を駆って救いに来た牧場主の愛娘 中野良子に、後ろに乗せた高倉健が「どうして俺を助けるんだ。なぜだ、なぜなんだ」「あなたが好きだから!」中野良子の一途で弾んだ笑顔。馬も弾む。
再び熊に襲われる高倉健と刑事 原田芳雄と中野良子。馬が嘶いただけで察知し「熊だ!」と叫ぶ健さん。熊に至近距離で拳銃を打ち込む原田芳雄。再び、なぜか中野良子を襲わない熊。
処女を捧げようと縋り付く中野良子をストイックな筈の高倉健は拒まず交合。
大滝秀治は、高倉健にセスナで逃げるよう勧めつつ「操縦は自動車より簡単」と。
操縦席の高倉健に、エンジンの轟音のなか地上から大滝秀治の「スロットルをもっと・・・」と叫ぶ指示がなぜか聞こえている。
高倉健は初めてセスナを操って、北海道から、途中で眼前に迫る恐山を躱し、たぶん三沢基地から飛び立った戦闘機を躱し、大洗の夏海海岸沖に着水成功。
中野良子の父親 大滝秀治はこの映画でも過度に良い人だった。
再び高倉健を救うため、中野良子が新宿西口に牧場の馬の大群を放つ。暴走する馬に乗って機動隊の包囲網を脱出。
潜伏したホテルの一室で中野良子が高倉健を守り隠すために、原田芳雄の前で脱衣したときの裸は吹き替えとのこと、当時は本人だと思い込んでいた。
精神病院をキチガイ病院と言うセリフ。
精神病院院長岡田英次が悪役。直後のTV「白い巨塔」での誠実な医師とのギャップが^^;
その精神病院の中で高倉健が人体実験用新薬で精神を破壊されてゆくふりをする演技が、あちゃ~。健さんのせいではなく演出が酷い。
政界の黒幕が後の水戸黄門 西村晃、韓国逃亡直前、高倉健元検事に一発と原田芳雄刑事に「お前なんか100発撃っても正当防衛だ」と3発の銃弾を浴びて殺される。
ラストは、検事正 池部良に高倉健が「逃亡中によくわかりました。法律だけで裁いてはいけない罪があることを、そして、法律では裁けない悪があるということを。そして、二度と人を追う立場にだけはなりたくないです」と言い残して、映画の2時間の間に生意気な生娘(処女をこじらせた娘?)から恋をしてどんどん美しく妖しくお洒落になった中野良子の肩を抱いて歩いて行くのであった。
結論:「野生の証明」と違って中野良子が死なないのが良かった。

トンデモ映画とされているみたい、というか書いていて荒唐無稽のトンデモ場面の連続だが、ぼくの中では娯楽大作の大傑作、冷静に言えば怪作。 
[中国版のポスター。中野良子の扱いが高倉健よりも大きい。原田芳雄が無い]
追捕中国ポスター.jpg
[中国用に編集して短くしてあるもよう。YouTubeで見つけたので鑑賞予定]  
記憶とは怪しいもので、他の映画とシーンが交じっていたり、結末近くのストーリーを間違って覚えていた。そもそも、当時隆盛の角川映画のひとつだったと勘違いしていた。

高倉健、原田芳雄、池部良、大滝秀治、西村晃(ロボット第一号學天則発明者西村真琴博士の次男)、岡田英次、内藤武敏・・・の名優たちは既に鬼門に。田中邦衛が82歳で存命と知り喜ばしい。
映画(画面)の中ではいつでも彼らに会うことが出来る。
映画(映像)って本当に素晴らしいですね。
そう言えば、水野晴郎閣下の「シベリア超特急」で中野良子さまに再会できたときはとても嬉しかったものです。「シベ超」DVDで揃えております^^;。

38年振りの鑑賞のきっかけを与えてくださったgreen_blue_skyさま、ありがとうございます(^_^)。
-------------------------------------------------------------------------------
1976年(昭和五十一年)と言えばあのロッキード事件で国会証人喚問があった年でもある。2月16日、衆議院予算委員会に稀代の役者小佐野賢治氏が登場。
「記憶にございません」「全く記憶にございません」
荒船清十郎委員長、楢崎弥之助、大出俊、正森成二、大内啓伍、松永光。追及する議員たちも格好良かった。証人に大久保利通の子孫の方も出席していた。(記憶があやふや、ダグラス・グラマン事件と混じっているかも知れません)
大学入試の只中にいたぼくはテレビで中継する世紀の茶番劇に釘付けでした。
そして、この証人喚問の55年前1931年2月16日に高倉健は生まれている。

今日の収穫たっぷりは、実家の畑から拾った^^;大量の大根葉。 
DSCF4008.jpg
[後日追記:紙面に主演 高倉健さんの訃報が。今、気付いた。何たる偶然] 
13株もあった^^;。
茹でて切って胡麻油と麺つゆで和えたところ旨い。
一度に一株分を食べられる。
調子に乗って大量に茹で過ぎた。冷凍保存しておくか。

赤外線電気炬燵の中にいるちゃとらんとふーちゃんを発光禁止で撮ってみた。 
DSCF3990.jpg
雰囲気がよく表れている。ちゃとらんが赤外線に溶けている。
下が発光モード。 
DSCF3987.jpg
炬燵の中が普通の空間のようで、よくわかるけれど面白くない。
 
DSCF3994.jpg
発光させないと、シャッター速度がかなり遅い。
カシャーッという感じ。ぼくには初めての感覚。
 
DSCF3995.jpg
ちゃとらん「ojiojiがいちばん都市人じゃあないのか。都市文明の恩恵を受けまくっているぞ」と。

ojioji「だからこそ、堕することのないよう、自らを戒めているのじゃあないか。それより瞳がまん丸だぞ。赤外線は眩しくはないのかい」
 
 
それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

都市生活者も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
お年寄りや社会不適合者(儂のこと)や生活保護受給世帯よ、
天然農法で幸せな自給自足の生活を(=^ω^=)
読んでくださってありがとうございますm(__)m
後日に読んでくださった方も応援のクリックをよろしくです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 

 
 

nice!(7)  コメント(2)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

懐かしのPostPet、HyperCard、真赤な苺 2014-10-22 [昔]

DSCF2829.jpg
朝から雨。珍しく夜まで降り続いた。
雨粒を湛えた四季成り苺が真っ赤に熟した。
DSCF2840.jpg
ノルくんは食堂の椅子で熟睡。
DSCF2835.jpg
みうめちゃんは食堂のキャット・ウォークでお得意のポーズ。
彼女は天性の女優で、カメラに収められないのがもどかしいが、決めポーズを幾つか持っている。そのひとつが、片手だらりのポーズ。

こんな日は、普段なかなか出来ていないブログ巡回の旅へ。
niceを戴いた方のところだけでもと思いつつ、なかなか回れておりません。
お詫び並びに弁解をば。

最大の理由は、ADSLに退化した通信環境
京都時代は、(音響カプラ、)普通回線モデム、ISDN、ADSLを経て、フレッツ光の快適な数年間を過ごし、その間にハードディスクの容量も飛躍的に増大、ぼくのデータも溜まりに溜まりました。
今春、ここ美咲町の田舎に転入してADSLへの回帰を余儀なくされ、データ量の多いサイトを開くのに時間が掛かってしまうのです。

わが家の中においても、2階の基地から階段に設置した中継基地を経由して無線で1階へ。猫のいたずらや電子レンジの使用?などによる通信状態の不安定なときもあります。

ということで、遅さ重さに慣れ(=諦め)はしたものの、お写真やデータ量のとても多いブログを表示させるのに時間が掛かりすぎて、かと言って、読まないままnice返しをするのも却って失礼かと、つい遠ざかっておりますm(__)m。

ところで、
「ネットを取り巻く環境の変化についてのおさらい」という記事にて通信環境の変遷を実にわかりやすく纏めてくださっています。
読みながら、この25年間が思い出され、懐かしさでいっぱいに。
変遷をメモ風に。(興味の無い方は飛ばしてください)

かつては電話回線にデータを流すこと自体がNG。
1985年NTT誕生(日本電信電話公社の民営化)、電気通信事業法改正。
世間はファミコンゲーム大流行。
いとうせいこうの「ノーライフキング」が1988年。バーチャル・リアリティを描いた彼の先見性が覗える。今は「ボタニカル・ライフ 植物生活」のベランダーでご存じの方が多いかと。
音響カプラを電話の受話器に密着させて通信^^;。
電話回線と接続するモデムを使用するように。
「ASCIInet」に続き、NEC系のPC-VAN(現・BIGLOBE)、富士通系のNIFTY-Serve(現・@nifty)が誕生。
niftyserve.png
ぼくはMSDOSのバッチファイルをいじったり、ベーシックでプログラミングの真似事。ゲームプログラムを入力して改変して遊んだり。やがて、PCからMacへ。一足早くにGUI環境(^o^)v、上田先生ありがとう。
パソコンのOSはWindows3.1、Macは漢字Talkの時代。
従量制課金制度だったので常時接続のネットサーフィンなど夢のまた夢。
オートパイロットと言って、自動でメールや掲示板のメッセージを一気に受信して、切断してから読むのが普通。HyperCardのstackでNIFTYのログを料理していました。
HyperCardよ、なぜ消えた(;_;)
テレホーダイの登場によりチャットが一般化。チャット経験は少ししかありません。「落ちます」とかが使われ始めた頃。
1995年11月Windows95の発売。ぼくはMac。
パソコンによるインターネットの幕開け。
Netscape Navigatorがパソコンに初めからインストールされていたが、NASAなど限られたサイトしかなかった。NASAからの地球の画像が開くのを何分も待っていたのが懐かしい。不満無し、感動のみ。
1998年5月iMacの登場。中学生や高校生が親に買ってもらったり。パソコンがビジネスから解放された革命!
1998年7月Windwos 98の発売。インターネットが馬鹿にも開放された
エッチ画像やゲームが普及の原動力。
パソコンにはモデムが内蔵されて販売。
ISP(インターネットサービスプロバイダ)が続々と誕生。
So-netはPostPet(登場は1997年)で会員数を伸ばした。
テディベアのモモ、リクガメ、ミニウサギ・・・。
1999年暮れから2000年春、文友学園をリストラされおじま学園を開く疾風怒濤の時期、愛用のMacの中でポスペのキャラがメールのやり取りに大活躍。PostPetは塾の成功の影の功労者。
ISDNに。
メールアドレスを所持して名刺に載せる人が増えてきた。
2001年からYahoo!BBがADSLのモデムをバラ撒いてインターネットユーザーを増やす。日本のインターネット利用料金が世界的に低価格なのは、Yahoo!BBが圧倒的な低価格で提供したからと言われている。
常時接続時代へ。
ネットとリアルとのパラレルワールド感覚。


pc-mobile.png
パソコンのみで接続 13.7%、ぼくはこちらの少数派。
モバイルのみから接続 9.4%
圧倒的多数は両刀使い 69.0%か。多数派でなくて良かった。

情報が増え続ければ、それだけ無視される情報も増える。
大半の情報は見向きもされないであろう。
以上、おつかれさまでしたm(__)m。

ニッキーさまのブログ「圭太とノエル セカンドシーズン」に、
>成功写真の陰にはいくつもの上手くいかなかった場面が・・・
とありました。
ははーっ、畏れ入りました。
デジカメなのにケチって1枚で済ませようとしている小生、痛く反省。
しかし、たくさん撮っても決定的瞬間を見事に外した失敗体験の数々、サーカスの象状態であります。

今日の収穫たっぷりとは言えませんが、
DSCF2843.jpg
雨に祟られて天然農園に足を運ばず、庭の苺でお茶を濁しました。
この季節に真っ赤な苺が美しい。
甘酸っぱい美味しさは僅か十秒間、
儚いことよ。
DSCF2830.jpg

DSCF2839.jpg
ノルくん「大津波に備えて防潮堤を築いても、来るのは何十年、何百年に一度。ぼくは日常を逍遥遊の境地で過ごせるなら津波に呑まれてもいいよ。三陸海岸でやろうとしていることは角を矯めて牛を殺すようなもの。ぼくは防潮堤は要らないから、早く自然の懐に還してほしいな」
鍵は太陽と土かも。(都会のオフィスは墓場)
DSCF2841.jpg
みうめちゃんはお得意のポーズでアンモナイトと化しました。

都市生活者も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
お年寄りや社会不適合者(儂のこと)や生活保護受給世帯よ、
天然農法で幸せな自給自足の生活を(=^ω^=)
読んでくださってありがとうございますm(__)m
後日に読んでくださった方も応援のクリックをよろしくです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 



nice!(8)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

美咲町長寿番付、9.11同時多発テロから13年 2014.09.11 [昔]

快晴。
いきなり今日の収穫たっぷり。
40cm超の庄屋大長茄子を3本(^_^)v。空芯菜がこの時期の緑黄色野菜の柱。
DSCF1709.jpg
さらに青紫蘇を大量に。また朝鮮風醤油漬け、今夜は200枚分仕込んだ。
DSCF1705.jpg
珍しく多忙な日、ブログ更新がこんな時間に。

美咲町発行の冊子に敬老特集として長寿番付表が。
DSCF1703.jpg
美咲町人口15000人、100歳以上の方が男2人、女10人!、計12人。
10万人あたりに換算すると80人。全国平均が40.29人。
美咲町、平均のちょうど二倍の長命の町(^_^)v
何のお蔭だろうと考えてみた。
豊かな自然に恵まれ、都市が無い。
農作物の耕作者が多い。地産地消。身土不二。
気候が温和。晴れの国岡山県の地理的中央。
田舎だが文化教養の程度が高い。歴史の町。
籠もってテレビ三昧の年寄りなど軽蔑する勤勉の風土。
ぼくの嫌いな福祉・医療行政が充実。
都市生活者を哀れむ矜持有り。
と適当に挙げてみた。
九十代で軽トラを運転して農作物を出荷したり、確かに元気な年寄りが多い。

昔は敬老の日の地方紙に100歳以上のお年寄りの名前と写真が掲載されていた。今は個人情報がどうたらこうたらとかで、高額納税者と同様、載らなくなっているもよう。
こういうめでたいことは、広くお披露目して皆んなで祝ってあげればよいと思う。
非実在高齢者のチェックにもなるし。

全国の100歳以上の高齢者数の推移を調べた。
1963年 153人 ぼくは幼稚園児。1県に5名未満の時代。
1970年 310人 万博のとき。
1981年 1072人 4桁に突入。
1989年 3078人 バブル時代、急増。
1998年 10158人 5桁に突入。
2003年 20561人 5年で倍増。18歳を超す猫が急増している今の猫の状況。
2009年 40399人 6年で倍増。この直後に非実在高齢者問題発覚。
2013年 54397人 住民基本台帳による。

※非実在高齢者を含んだ数字のもよう。
参考までに2010.9.1時点の住民基本台帳による100歳以上の数は44449人であるのに対し、本人確認出来た者23269人。年金の不正受給や死体遺棄が関係する犯罪のケースが問題。
2010.8.27の厚労省によるサンプル調査では85歳以上の年金受給者のうち3%に不正受給の疑いが。要するに、亡くなっているのに遺族がそれを隠して年金をもらい続けるということ。

発端は、例の東京都足立区の最高齢者111歳の加藤宗現さんが白骨化して発見された事件。1978年頃に亡くなってから30数年間も老齢福祉年金と途中から遺族共済年金が支給されていたのを家族が着服。膨大な金額。すべて税金。長女 真子みちこ(81歳当時、孫娘 登貴美(53歳当時の両容疑者が年金不正受給詐欺容疑で逮捕された。


9.11アメリカ同時多発テロから13年。
2001年は、勤めていた塾をリストラされて、自分の塾を開いた翌年。
あの日は、塾の教え子がイギリス留学に旅立った日で、テロ直後にヒースロー空港に到着したため、厳戒態勢の下での入国チェックだったと後日聞きました。

当時のスポーツ新聞の記事。クリックすると拡大されます。
156f4cb8.jpg

7518a7d6.jpg

c47da656.jpg
情報が錯綜していた状況がよくわかります。

9.11米同時多発テロの衝撃画像集

Unseen 9/11 Footage of Second Plane Hitting Tower

(Warning Graphic) People jump from World Trade Center RIP Never Forget

テロで亡くなった方、並びに、その後のアメリカからの報復(アフガニスタン戦争、イラク戦争)によって亡くなった全ての方が安らかに眠られんことを祈ります。


それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

都市生活者も食材の自給を楽しみましょう(^_^)v
お年寄りや社会不適合者(儂のこと)や生活保護受給世帯よ、
天然農法で幸せな自給自足の生活を(=^ω^=)
読んでくださってありがとうございますm(__)m
後日に読んでくださった方も応援のクリックをよろしくです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 




nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

朝日新聞珊瑚記事捏造事件とレンチン玉蜀黍(^^) 2014-08-24 [昔]

今朝も畑に出ると雨、
昼まで降り続いています。
ブログを書くことにしました。
映画や本よりも熱中できて面白い、
時が早く経ちすぎるのが惜しいけど。

昨夜、採れたての玉蜀黍を料理。
塩茹でが面倒くさかった^^;ので、
クックパッドで何人か載せてた電子レンジに挑戦。
といっても、皮を剥いた玉蜀黍を洗って好みで塩をまぶして、
サランラップかポリ袋に入れて、電子レンジで数分。
ぼくは5本を10分。
こんな簡単に調理できるとは。
甘い!
文句なし。
もっと植えとけばよかったと後悔してるくらい。
早速、晩秋に収穫が間に合うように種蒔きします。
レンチン玉蜀黍、ポリ袋のまま冷ませば、
固くならないで冷蔵庫保存が出来ます。
茹でるときよりも旨味が逃げなくて濃い味を楽しめます。お勧めです。
DSCF1341.jpg
知人から「自然と猫と悠々自適に」のタイトルや田舎暮らしのカテゴリから外れ過ぎているぞとの指摘があったのですが、田舎暮らしだからといって皆が品行方正で枯れた植物的生を生きているわけではなく、田舎にもパチンコ店もあれば、珍走団も走り、近所付き合いしない家もあり、自動車の一世帯当たり所有台数は東京の三倍以上であり、一人あたりのエネルギー消費量は都市より遥かに多く、そして、悠々自適にもいろいろあって斯くの如し。

この暴走老人路線、どこかで息切れするか厭きるでしょうから、
それまでのご辛抱をばm(__)m
たぶん昔から年寄りが周囲に毎日していた繰り言を、
ぼくは相手がいないのでブログでしているのでしょう。
手間隙かかるけれど、生身の人間相手よりもカタルシス効果が持続します。

カタルシスは元来はギリシア語の医学用語で、薬剤を用いて吐かせたり下痢を起こさせたりすることだそうです。ぼくの吐瀉物や排泄物を読まされる読者は晴れてスカトロジスト、フロイトやモーツァルトの仲間入りです(^O^)。
ということで、
Freud.jpg
コカインを推奨したこともあるフロイト先生の説く精神浄化作用のため、
懐かしの朝日新聞サンゴ事件についてWikipediaと当時の新聞記事より。

朝日新聞珊瑚記事捏造事件とは、1989年沖縄県西表島において、朝日新聞東京本社写真部員本田嘉郎が自作自演で珊瑚に傷をつけ、その写真をもとに4月20日夕刊で記事を捏造した虚報事件。傷をつけた文字「K・Y」を取って、KY事件とも呼ばれる。
サンゴ事件.jpg
       [朝日新聞1989.4.20夕刊第一面
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
これは一体なんのつもりだろう。(中略)
「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(中略)
日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。精神の貧しさの、すさんだ心の……。
にしても「K・Y」ってだれだ。

地元の沖縄県竹富町ダイビング組合が「サンゴにこれまで傷は全くなかった、サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」との抗議を寄せた。
西表島に偶然K・Yというイニシャルの有名ダイバーがいて、彼が憤慨して調査を始めたのがきっかけであったとされる。

テレビニュースに対抗するため新聞メディアが写真報道に力を入れていた当時、コンピューターグラフィックが初期の時代でAdobe Photoshopも事件当時は未だ存在しなかったため、捏造写真を作るためには実物に手を加えるしかなかった。

元東京大学教授の酒井信彦氏は、「この(記事末尾の)文章の最大のポイントは、サンゴ損傷を特定の不心得ものの所業ではなく、日本人全体の問題にしていることである。それによって日本全体を悪者として貶め、反対に自らを良心的な糾弾者として、正義の立場に祭り上げることができるのである」として、このような朝日新聞の体質を「虐日偽善」主義と名付けて批判した。
サンゴ事件お詫び.jpg
     [朝日新聞1989年5月20日朝刊第一面

以上、朝日新聞珊瑚記事捏造事件について。

KYには懲りているはずなのに、性懲りも無く18年後に、このような記事を朝日新聞論説委員が。この脇坂紀行という人は抜け作だったのでしょうか、それとも自社の黒歴史を知らなかったのでしょうか。
KY空気読めない.JPG
けしからんことに、第一次安倍内閣を退陣に追い込んだのであった。

KYと来たら珊瑚だろうと、当時即、塾の壁新聞で珊瑚記事捏造事件を掲示して、生徒たちに正しき道を示せたのが自慢です。ぼくの言動をネトウヨと同列に語る人もいますが、全く異なります。というかネトウヨという個人はおらず、自分にとって都合の悪い主張をしている人を一括りにネトウヨという呼称で括っているだけで、一緒くたにされるこちとら大迷惑。赤字国債を大学時代から批判していた年季があります。被差別部落の逆差別の実態を、データ無しで直感して説いていたのも日本共産党よりも早いです。だからいっとき日本共産党を応援していたくらいです。全解連がもはや部落差別は無くなったと規定したのが応援した理由です。ただ京都に於いては全解連が部落解放同盟と同じく公金横領をしていたというニュースは悲しかったです。でも日本共産党にもいろいろな人がいるし、八割主義のぼくとしては、残り二割の屑の愚行には寛容です、などという現実に根差した議論をすればよいのに建前ばかりのやりとり、うんざりです。京都における公務員の利権構造の根深さは耳に入る限りでも酷かったです。ある程度、晒されるようになったのは小泉純一郎氏のお蔭です、だから、功罪半ばする彼ですが、ぼくは大いに評価しております。京都で同和枠採用の公務員が職場で盗みを働くときちんと新聞記事になったのは小泉改革のお蔭です、それまでは記事化しませんでした。小泉純一郎が立たなかったときを想像してみなさい、小渕、森喜朗から橋本龍太郎に戻っていたのですよ。郷土の橋龍ですが、日本の総理大臣としては力不足でした、優秀な課長補佐でした、遠くから見る富士山という評もありました。

戻して、
恐ろしいのは、朝日新聞の捏造記事のせいで韓国まで「20万人の性奴隷」というフィクションを捏造して、慰安婦像、慰安婦石碑を世界各地に設置して既成事実化しようとしており、わが国が甚大な風評被害を受けていることです。
DSCF1348.jpg
みうめ姫も呆れて「朝日新聞社は朝鮮日報新聞社の略称だったのでしょう、だったら、本社を平壌に移すべきだわ。でも、その後の記事を見ていると、ソウルか北京に移転するのがよさそうね。アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む 朝日新聞 とはよく言ったものね」とお尻を向けています。

ひとり朝日新聞に責めを負わせるのではなく、他所事の如く看過してきた国民こそがマスコミの愚挙を許してきたのだということを自覚したいものです。
他律から自律へ。

それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

都市生活者も出来る範囲で食材の自給を楽しみましょう
お年寄りや社会不適合者(儂のこと)や生活保護受給世帯よ、
天然農法で幸せな自給自足の生活を(=^ω^=)
読んでくださってありがとうございますm(__)m
後日に読んでくださった方も応援のクリックをよろしくです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 




nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(3) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。