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年始め「言いたい放題」と真冬の椎茸と蝋梅蕾 2015-01-09 [好きな言葉や拙見]

朝方の冷え込みに、コタツで丸くなった三頭。
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アメメくんが真ん中にいるのが何となく嬉しいです。
ふーちゃん、食い過ぎ、太り過ぎ。

わが家の床の間もすっかり平常に復しました=果実酒置き場(^^;) 
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柚子や梅やウコンやカリンとリキュールがたくさん。
ラフロイグLAPHROAIGは最後の一本、飲まずに秘蔵。
マー君の蝮酒は三ヶ月経ったら試飲予定。
 
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花壇の蝋梅(ロウバイ)、蕾が膨らんで開花間近。
独特の質感の黄色い花が各地で既に咲いているのをいろいろな方のブログで拝見。

右)ブロッコリーの頂花蕾、最後のひとつを収穫。
あとは脇芽(側花蕾)が成長するのをカリフラワーと共に待ちます。
 
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年が明けてもにょきにょきと生える椎茸。
ホダ木(原木)に雑茸菌も回っているのが見えますが、椎茸はちゃんと生えています。
野菜と同じく、アバウトで行けることが判明(^^;)、ぼく好み。

授業が無いと、朝から秘蔵のどぶろく(久し振りに登場。調子乗って当局に逮捕されたくないので記事上では自重しておりました。もうひとつ、どぶろくはコップ一杯迄にしておけば百薬之長ですが、過ぎると悪酔いするために、以前程お勧めしにくい気も)で酔い一日。


今年最初のojiojiの言いたい放題(=^・^=)

去年の九月から始めた「言いたい放題」、彼方此方に書き込んだコメントの羅列。
自分の思いを一箇所に残せるし、面白がってくださる読者がいらっしゃるかも。
何よりも記事更新が楽ちん(^O^)
暫くは、2014年から2015年春までの懐かしいコメント特集です。
自己変格なんて意気込まなくても、脳味噌も動的平衡を保ちながらも日々変化していることが自分でもよくわかりました。

今や起きているときは全て遊びになりました。
だから真剣になれるし、時間も忘れられます。
田舎の都市化に物申しながら、私がいちばんネット社会の恩恵を蒙っております。
こうして好きなこと書いて読んでいただけるからこそ、回りの人たちに直接の迷惑を掛けずに暮らせるんだなあと。飽きるまで楽しむことにします。


四股、まだ始めて数年ですが、メンテ皆無で身体を酷使していた三十代後半から四十代(42まで喫煙していたなんて今では信じられない)よりも、五十肩や腰痛を経験してから身体のメンテナンスを取り入れることにした五十代のほうがよほど快調です。決断力もつき、自分本位に生きられ、酒も旨い(^o^)


池上彰氏の先日の総選挙(2014.12)のときのライブに出演されていた藤井裕久元大蔵大臣(隠退されてから彼の優秀さを知りました、かつての新聞・週刊誌報道が如何に出鱈目だったか)も触れておられた日本人の「空気」。池上氏以外は反応していませんでしたが、とても重要な指摘。(追記:山本七平氏を引用して、風に靡く葦の如く無定見な有権者の動向を批判的に指摘されていました)
 
 
教室の後ろのかったるそうな学生たち。ところがオーラ満開の藤尾秀昭氏が空気を変えると、彼らは即、素直な学生の姿に。学生の心のコップよりも、それまで放置していた大学の躾無関心空間が問題かと思います。京大副学長が学内に警察が無断で入るのはイカンと言うくらいですから。無断で入らなきゃあ犯罪者が逃げるじゃあないですか。もっと言えば、わるいことの放任も自由の尊重と混同してきたここ数十年の社会。


投票に行くよりは親子でお買い物を、と云うくらい不満のない豊かで平和な日常を半数近くの棄権した人たちは送れていると考えたら、鼓腹撃壌で、それもまた良しかなとも。その代わり、その安逸なる日々が壊れたときに、政治に文句を言うなよと。わが家で猫を5頭室内飼いしているのですが、現代人、特に都市人にはペット人化した人たちが増えているようで、社会的責任も参政権も要らないわと言っていた人もいました。確かに小生自身、衆愚衆愚と挑発的に書くときがあるのですが、その実、今の暮らしに不満など何もなかったりします。


お餅つきお疲れ様、といっても機械で3分の世の中(^^)
そちらのお雑煮は今も神事としての意味が残っているのでしょうね。
岩海苔でしたっけ。ぼくは今日、一足早くに雑煮をいただきました。
前日のみぞれ鍋(鶏腿肉、ナメコ、葱、白菜、大根、人参、豆腐、油揚げ)のゼラチンたっぷりの塩スープに、昨日ついた餅を。
塩ダレ風は初めてでしたが、けっこう旨かったです。
地元では本来は醤油で、スルメや鰤とかと野菜を阿呆ほど入れた雑煮です。


猫はヒトと同じく真冬でも妊娠するのですね。
もっと子育てしやすい時期にすればよいのにと思います。
本能よりも欲望に任せたのでしょうか(^_^;)
子どもの頃、家猫がよく赤ちゃんを産んでいた頃を思い出します。
とんでもないところに産んで、首をくわえて運んで、
放っておいても逞しく育てていました。
現代のヒトと対照的でした。


その土地の食べ物からつくられた身体がその土地で暮らすのにいちばん合っているという身土不二の考えで北海道は安泰でしょう。なのに農畜産物をトラックで遥々大都市に運ぶ。全国の大手スーパーは品揃えにあまり違いがないという、本来なら有り得ない、トラック輸送に頼った流通体制の日本。便利なのでしょうが、行き過ぎの気がしています。卵かけご飯は、美咲町の材料(地元の卵、地元の米、地元の醤油、地元の漬物)だけで賄っているからこそ、あんな値段(350円で卵・ご飯・味噌汁・漬け物でおかわり自由)でやっていけるのでしょう。輸送コストの掛からない地産地消は経済的にも正しい姿。


実は松岡修造氏をぼくはよく知らなくて、いろいろな記事で熱い(暑い?)人だと書いてあるので、自分とは異なるタイプかなあと思っていました。ところが、かつて新聞広告で彼の本を見て、ぼくが自分を奮い立たせるときの言葉と同じ乗りであることを知り、少し親しみを感じておりました。「日めくり」を取り寄せて毎日の友に(^_^)


ラミーチョコの同士よ(^_^)。子どもの頃もラミーだったか同じようなチョコがあって、当時からファンでした。バッカスも好きでしたが、ラミーのほうが好み。いっとき遠ざかっていましたが、四十過ぎてから冬場に一度は衝動的に買い込んで食べたものです。かつて大人買いをしていたのを暑くなって食べようと思ったら、悲惨な状態にということがありました。


運転免許更新講習の受講態度、全く同感です。
講師がまたぬるすぎて、タバコを吸われる場合は廊下へとか、ケータイもお仕事で必要でしょうが通話される場合は廊下へとか、塾講師をしていた私から見ると、なんじゃこれは、幼児ルームかと思う甘やかし具合。実際、教室に出入りを繰り返すやつや、出たっきり終了直前まで戻って来ないやつや、野放しでした。一緒に受講するのが阿呆らしく感じました。
と書きつつ、かつて京都時代、羽束師の会場で受講教室を間違えて、講習の半ばくらいで気付いて、恥ずかしくて動けず、終了と同時に慌てて忍者の如く、正しい教室に入って、何食わぬ顔で行列に並んで、新しい免許証を受け取ったことがあります。原付免許更新のぼくなのに、業務用のトラックやら大型や中型?とかの話ばかりで、講習内の映画がトラック運転手の一瞬の油断が起こした被害者と加害者の家庭の悲劇という内容だったため、流石に変だなあと(^_^;)。
 
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ちゃとらん「ふーちゃんは食ってばかり。ojiojiは飲んで食って、休肝日はどうなったの。アメメお爺さんもノルくん小父さんも仏像か神像化しているし。もっと身体を動かそうよ、皆んな!」
 

わがままではなく、ありのままに
都市の方も食材の自給を楽しみましょう
読んでくださってありがとうございます(=^・^=)
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