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九死一生は幸運?悪運?(長編^^;) 蕗の薹は何処へ 2015-03-16 [昔]

京都から春来たる(^_^)
Iさん、Hくん、Yくん、Oさん高校合格おめでとう\(=^ω^=)/
京都の塾の生徒たちから懐かしい電話が。
今日は公立高校合格発表日だったのです。
酔っていてごめんm(_ _)m
前世を思い出し、とても嬉しかった
まゆさんのあの美しい字が懐かしいよ。

蕗の薹を食べたくて、1月末に島根県で蕗の薹出現の記事を見て以来、蕗の生える場所を度々見に行っていたのですが、昨日、蕗の薹ではなくて蕗の葉^^;が何本が出ていました。
蕗の薹はどこに。
道端なので、ひょっとして先客があった?

今日は一日、好い天気。
今シーズン初(^_^;)の畑の草むしり。韮は緑の葉を伸ばし始めたところなのに、雑草は土が見えないくらい蔓延っている。冬の間に根をしっかりと伸ばしていました。
ノルくんたちも猫コタツを出て、窓際で長閑に日向ぼっこ。
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 ヨガ?ストレッチ?
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横綱の貫禄。運動不足なだけか。
とっとっとっとっと室内犬のような走り方、いや、
本人は走っているつもりだけど、歩き方をします。
 
ぼくは、今度は左下の詰め物が外れたので夕方、石原歯科に。
しっかり噛めるようになったお祝い^^;に鯵の刺身と実家でもらったお寿司でひとり宴会(^o^)、そのときに冒頭の嬉しい電話だったのです。
 

 
mitsuya さまのブログで「運の良い人悪い人、運ってなに?」という記事を拝読、わが身の強運・悪運の強さを思いました。

少年時代に二度、九死に一生を得た体験は以前紹介しました(トラックが私の上を通過した体験は奇跡、いつか詳しく記録に残す)が、今日は京都時代に遭ったある奇跡的な出来事を久々に思い出したので記録に残しておきます。(以下、長文m(_ _)m)

あれは二十五年ほど前の8月の終わり、勤務していた学習塾の確か夏期講習の終盤の頃。まだ私がマンションを購入する以前で、京都市内の国道9号線沿いにある賃貸アパート(名前はマンション)の1階に居住していた時代のこと。明るくなりかけの時刻、確か午前五時半頃でした。

睡眠中に突然の轟音と振動がして目覚めた途端、
身体の上にガラガラと大量に塊が降ってきた。
身体を起こそうにも、埋まっていて身動き出来ず。
視界は煙で何も見えず、息もしにくい。
工場の機械のような音が低音で鳴り続いている。
数秒間のパニックの次に思ったのは、地震だ!ということ。
阪神淡路大震災の五年前のことです。
脱出しなきゃあ!
ベッドの布団の中で藻掻くけれど、身動きが取りにくい。
身体にスチール本立が倒れかかり、本とモルタルやコンクリの瓦礫に埋まっていました。
煙で息が出来ないと思ったら、瓦礫の粉塵でした。
ベッドの右を見ると数十cm先に巨大なトラックの荷台とタイヤが(^_^;)
排気ガスの臭いが急に苦しいくらい漂いました。
鳴り続ける音はトラックのエンジンだったのです。
ますます事態がわからず、パニックに。
なぜか、このままでは爆発する!と焦って、
必死で瓦礫を掻き分けて廊下側に脱出。
確か短パンとランニングの格好で、粉塵まみれでした。
アパートの玄関から国道側に出てみると、薄暗いなかを、十名以上の人たちが集まっていました。
「中に人がいるん違うんか」
「ベッドが見えるぞ」
「潰れてるんと違うか」
わいわい騒いでいます。
その背後からぼくが「ぼくです!」と呼びかけると、
皆んな振り向いてびっくり。
口々に、大丈夫かと心配してくれて、そうしているうちにアパートの大家さんが来てくれて、すぐに病院に連れていってくれました。補償交渉のときに医師の診断書がいるんだそうです(^_^;)、勉強になりました。

レントゲンまで撮られたけれど、怪我は、瓦礫で出来た擦り傷だけで大したことはなく、現場に戻ると、黒山の人だかりに。そりゃ国道沿いの四階建てアパートに大型トラックが突っ込んだのですから。
新聞社の支局の人も来ていました。

ひとり中年の男性が頭を抱えて俯いたまま、現場のコンクリート片の上にしゃがんでいました。ああ、えらいことしてもうた、親方に叱られる、もうおしまいやと、ぶつぶつ呟いています。大型トラックの運転手みたいです。指が欠けていました。可哀想でした。
警察の現場検証の傍で聞いたところ、驚愕の事実が。

大型トラックは20トン積みで鋼材を満載。運転手が未明にコンビニで弁当を買うためにエンジンをかけたままトラックを停車。コンビニはアパートから100mほど上手にあり、途中は緩やかな勾配です。運転手が買い物を済ませて出たところ、トラックの姿がありません。えらいこっちゃ。トラックを探して(^_^;)国道を徒歩で下っていて、現場を発見。何と、無人のトラックが、たぶんサイドブレーキが甘かったために、国道の下り勾配をゆっくりバック!で進み、途中の9号線と桂坂への道との交差点を通過しその40mほど下手にあるアパートの、選りに選ってぼくの部屋のところで右旋回、鋼材を満載した荷台が国道に面した部屋を貫通、その奥の寝室の端まで突入していたのでした。大型トラックの荷台がすっぽりとアパートの中に垂直に入ったわけです。重力加速度並びに慣性の法則は強力です。外には運転席だけが覗いていました。あと1m早く右旋回していたら、ぼくはぺちゃんこでした。20トンを耐える自信はありません。
無人トラックが、バックで、100m逆走、途中の信号交差点もクリア、そしてぼくの部屋に命中(^_^;)。まさに奇跡です。夏は暑いので道路側の部屋の真ん中に寝るときもあったのに、その日はたまたまベッドで寝ていて助かったのも奇跡です。

ベランダに置いていた愛車MASI(自転車ロードレーサー)はフレームがぐにゃり、修理不能(;_;)、家財道具の多くは大破、バス・トイレも大破、上の階からの水洗の排水パイプを破壊したため、朝の時間帯の階上の方たちの汚水が天井から噴出、芸大の女子学生だったのがせめてもの慰め^^;、貴重な書籍が黄色く(;_;)。加藤治郎の名著「将棋は歩から」全三巻も(;_;)。もったいないので、汚れがましだった一冊は今も記念に手許に。
後日の運送会社側の保険の人との遣り取りは理不尽な思い出。総額35万の自転車を、「自転車は1万円ですね」で片付けられた。だいぶ粘ったけれど、査定額は物品により決まっていますときっぱり。当時は知識も度胸も無かったので泣き寝入り。居住不能になったので大家さんが仮住まいの古民家を提供してくださったり、いろいろ人生勉強出来ましたがテーマと離れるので。

この事故以来、睡眠中にトラックとかの振動があるとハッと目覚めて動悸のする時期が十年以上続きました。睡眠中の地震の揺れに、またトラックが!と身体が反射的に反応しました。PTSDですね。
阪神淡路大震災のときも、睡眠中だったので、目覚めた瞬間真っ先に、トラックが突っ込んだ!と直感。4階の部屋だというのに(^_^;)。大型トラックが1階に突っ込んでマンションが倒壊しかけたんだと考えなおしてから、揺れが20秒くらい続いている間に、いや違う、これは地震だとわかって、ちょっと安心したのを覚えています。

九死に一生体験、他にも思い出すままに、
数年前、原付バイク(YAMAHAアプリオ)で、白いスポーツカーの横を左からすり抜け(^_^;)したとき、運転してたヤンキー兄ちゃんがブチ切れたのか、突然爆音をあげて奇声と共に私のバイクに幅寄せ、脅かすつもりが私の右腕に車のボディーが接触、あちゃー、転ぶ!と覚悟しながら、ロードレーサーで培ったバランス感覚で持ち直せたことがありました。接触後にびびったのか、一旦、停止しかけた車が、態勢を立て直したバイクを見て、走り去りました。

十年あまり前、まだ自転車(下鴨のビゴーレのロードレーサー)通勤時代、洛西ニュータウンの横断歩道を青で乗車したまま(^_^;)渡っていたところ、左折の黒っぽいスポーツカーが歩行者より先に曲がろうと急発進。私は自転車で横断歩道をすでに半分以上進行中。猛スピードの車に避けようがなく、急ブレーキ。イメージは、前輪を浮かせて躱すウイリーだったのですが、実際は前輪がロックされて後輪が垂直に、私の身体も真上にぽーんと放り上げられました。慣性の法則は強い。空中に滞在中に斜め下をスポーツカーが猛スピードで通過。私の安否も確かめずにさらに加速して見えなくなりました。周りのひとたちが心配して駆け寄ってくれました。向こう側の人からは、私が車に撥ねられたように見えたみたいで、ひき逃げだ!と叫ぶ声も聞こえました。この落ち方は何度も経験があって^^;、受け身を取れたので怪我はしませんでした。無事なのも恥ずかしかったので、ぺこぺこしながら私も猛スピードで走り去りました。

30年近く前、京都の北山で行われた自転車ロードレースに出場したときのこと。当時は、イタリアのMASIのフレームにシマノのニューディラエースなどで組んだ35万円(^_^;)のマシン。美山や花背のほうを回る山岳コースで、下りは時速60kmを軽く超えて時速70km程度のスピードになります。一流選手以外は、それ以上は恐いし危険。そのレースでカーブのある長い下り坂を、登りで使い果たした筋肉の回復程度の回転で加速を楽しみながら下っていました。スピードが出過ぎると前後輪のブレーキをバランスよく利かせます。そのとき突然、前輪のブレーキシュー(リムに触れて摩擦を起こす直方体のゴム)が吹っ飛んだのです。前輪のブレーキが利かない!スピードは70km近く(;_;)。コースアウトしたら谷に落ちます。もし転んだらこのスピードです、ただでは済みません。後輪ブレーキだけ利かせて、それ以上の加速を抑え、コースアウトしないように、転倒しないように、必死で操りました。坂が緩やかになりスピードが落ちたときには心からホッとしました。生涯最高の走り。レース後に笑いながら「出来ることを冷静に判断したら大丈夫だ」などと余裕をかましたのは大嘘です。

思い出しながら書いているうちに、とっくに4回くらい死んでいた(^o^)ことがわかりました。そして、殆どのケース(20tトラック突入以外)の原因つまり非は吾に在りということに気づいて嫌になったので、この辺にします。

mitsuyaさまブログはカウンセリング効果があるのか、潜在意識に眠っていた過去の記憶の甦ることが屡々、不思議です。
 
現在は過去の結果と申します。
過去に囚われたくはないけれど、
たまに振り返ってみるのは良いものです。
過ぎてしまえば、みな美しい 
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 ノルくん「ojiojiには呆れるよ。ぼくの臆病さを見習わなきゃ、勝手口が開いててもお外には出ないでしょ」
 

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