良心なき快楽と休肝日破戒 2014-08-21 [好きな言葉や拙見]
嗚呼、長年の嫌な痛みから解放されました。
ものを噛んだときのお尻のほうまで伝わる圧痛、
体調によって歯髄からわるいものが全身に回る感覚、
全部ぽっかりと消えました。
舌で探ると実際にぽっかりと大きな穴が空いています。
今は抜いた傷の痛みがあるけれど、
楽になった気持ちよさで嬉しさ一杯です。
抜歯のために初の休肝日と書いたのですが、
せっかく続けている習慣を途切らせるのは気持ちがわるいので、
夕食後、痛みに耐えてどぶろくを一杯だけ嗜みました。
その後、読んだ記事で、
酒は適量でも飲まない人に比べ脳に萎縮が見られる、
百薬の長と言われる科学的データは存在しない、
とありました。
ええい、年寄りの脳が萎縮しても不都合は無い、
深く悩めなくなってすっきりするわい。
神道では、お神酒オミキは神への捧げもの、身を清め神との一体感を高める飲み物とされております。
今日のテーマは、
【7つの社会的罪 マハトマ・ガンジー】
3 良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
うーん、語る資格が無いことに気づいたので、少し調べてみました。
(が、不毛な研究になりましたm(__)m)
まずPleasure。
快楽、快感、享楽(きょうらく)、気持ち良いと感じること。
大脳の高次機能の発達した人間は、動物的欲求以外の状態からも快楽を得る事が可能である。美しいものを見て、素晴らしい音楽を聴き、楽しい時を過ごす事によって人は快楽を得る。
覚醒剤やアルコール飲料、あるいはギャンブルなどは、強く直接的な快楽をもたらす。
快楽は人間の行動原理、価値観の根本を規定する脳の状態である。
快楽・快感を否定したのでは生きている意味が無いので、快楽自体に罪は無いことがわかりました。(追記: 快楽は罪である、ゆえに生きていることは罪である→贖罪 という考え方もあるが、ここでは除外)
快楽は欲求が満たされたときに得られるので、欲求について。
脳科学で主な欲求を分類すると、
生理的欲求-----食欲、睡眠欲、性欲・・・etc.
安全安心の欲求
愛情や所属の欲求(集団欲・序列欲)
人から認められたいといった欲求
理想とする自分になりたいという自己実現の欲求
これらの多様な欲求を段階的・並行的に過不足なく満たしていくことが心身の健康を維持する上では、大切である、と。
アブラハム・マズロー(1908-1970)、懐かしい、彼の唱えた欲求5段階説と見事に対応しています。マズローは人間の欲求を生理的欲求・安全への欲求・社会的欲求(帰属の欲求)という外的に充たされたい低次元の欲求から、尊厳欲求(承認欲求)・自己実現欲求という内的に充たされた高次元の欲求までの5段階に分けて、低次元の欲求が満たされると高次元の欲求へ移行するとしました。
ぼくが毎日ブログを書いているときも、3段階の欲求が充たされています。
この記事を知人や見知らぬ読者に読んでもらえる楽しみは帰属の欲求、
アクセスランキングや人気ランキングの数字が上がると嬉しいのは承認欲求、
猫やディオゲネスが憑依して文章を綴っている無我の境地は自己実現欲求、
と対応付けられるでしょう。
だからブログを書くと、たとえ苦労したときでも、快楽を感じるのか。
参考: スティーブン・リースという心理学者による人間の16の基本的な欲求。
力:他人を支配したいという欲求
独立:人に頼らず自力でやりたいという欲求
好奇心:知識を得たいという欲求
承認:人に認められたいという欲求
秩序:ものごとをきちんとしたいという欲求
貯蔵:ものを集めたいという欲求
誇り:人としての誇りを求める欲求
理想:社会正義を追求したいという欲求
交流:人と触れあいたいという欲求
家族:自分の子供を育てたいという欲求
地位:名声を得たいという欲求
競争:競争したい、仕返ししたいという欲求
ロマンス:セックスや美しいものを求める欲求
食:ものを食べたいという欲求
運動:体を動かしたいという欲求
安心:心穏やかでいたいという欲求
欲求こそ人間が生きる意欲の源であり、
これを罪と言うわけにもゆきません。
そもそも、生きること自体が生への欲求ですし。
ということは、鍵を握るのはConscience。
「良心」と訳すから、わかりにくく不都合が生じるのだと思います。
良心なき快楽は大罪、とすると、
遊び・レジャーとしてのハンティングや釣りなどは無用の殺生につき、良心なき快楽に該当してしまいます。何十年も生きた何の罪も無い大鰻を遊びで突いて食べるのは、良心に照らせば無用の殺生に当たり、大罪になるでしょう。ちなみに鰻は鯉や鯰と同様長命で100年近く生きるそうです。
と、マハトマ・ガンジーが日本の釣り人やハンターを非難しているのではなくて、
Conscienceの意味を正しく理解すれば大丈夫(^^)。
本来のconscienceの意味は、
人が内心において、倫理的な理非を判断する基準、価値観。
つまり、conscience自体に良いという意味は無かったみたいです。good conscienceやclear conscienceもあれば、bad conscienceやevil conscienceもあるみたい。
憲法第19条の翻訳(又は原文)
Freedom of thought and conscience shall be held inviolable.
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。(日本国憲法第19条)
日本国憲法制定時、conscienceの訳語として「良心」を使ったために、「良心」が価値観・判断基準に相当する意を有するようになったもよう。
この条文の日本語、確かに変ですもね。というか日本国憲法、随所に変な日本語がありまくりです。英語の原文が無い限りあり得ないほど不自然な日本語。憲法改正以前に言葉遣いを直したいものです。
久し振りに拙い英語力で訳してみると、
思考や意識の自由は不可侵である。
とか、
心の中で何を考え何を意識しようが自由である。
でどうでしょう。
少なくとも「良心の自由」なんて普通の日本語じゃあないですよ。数十年来、全中学校で全員に教えてきたから、そういうものかと思い込まされているだけでしょう。
そもそも第19条、日本の憲法のなかに要るのでしょうか。個人の内心の自由なんて、自明過ぎるほど自明のことでは。当時のアメリカ軍が神風特攻隊とかから神道を誤解して、神経過敏になっていたのでは。
参考までに英英辞典の解説文では、
Your conscience is the part of your mind that tells you whether what you are doing is right or wrong. If you have a guilty conscience, you feel guilty about something because you know it was wrong. If you have a clear conscience, you do not feel guilty because you know you have done nothing wrong.
ぼくとは異なる意識構造の人用の説明の気がします、文の意味を辿ってもその気持ちがわからん。
ということで、
Pleasure without Conscienceとは、
何も考えず自分を見失うほど快楽に耽っては駄目、
正体不明になるほど飲むのは大罪、
ということですね。
再び、うーん、
何も考えず自分を見失ってこそ、本当の快楽が味わえるのに・・・、
ガンジーさま。
アーメメー・ガンジー「それは大罪だぞ」
今日の収穫たっぷり。
地這い胡瓜は本日正式にリセット、写真は最後の1本です。但し、何株か剪定して株を残しています。ここからまた葉を広げて実らせることが出来るかどうか。霜知らず胡瓜の苗が育っています、もうすぐ畑に移植予定。
トマトも終了間近。
玉蜀黍は1本様子見で。ふた口で食べきれる粒数でした^_^;
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