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犬儒派ディオゲネスとまん◯画太郎先生 2014-08-15 [好きな言葉や拙見]

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注文していた猫砂が届きました。
マンションでは無理だったまとめ買い合計126L!(^_^;)

今日は午前と夕方と、畑に出ると雨が降りだして捗りませんでした。
収穫たっぷりも、濡れながら慌ててトマトだけ採りました。
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豊富すぎるトマトと茗荷ミョウガですが、
さすがにこの取り合わせのレシピはないだろうと、
クックパッドを検索すると、
何と、サラダや和え物や味噌汁やたくさん並んでます。
恐るべし、クックパッド。

こちらは昨日、近所の蛍狩りに連れてってくれた少年がニュージーランドのお土産を届けてくれました。
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夏休みを利用した10日間の短期ステイから戻ったところ。
中2なのに積極的、田舎だからとて侮れません。
ぼくなんて上野より遠くに行ったことが無いというのに、
而も滞在時間二時間弱。

ところで、このブログは読み難い、一度読んだだけではわからない、
というお声がありました。
お節御尤もですが、
読者は、どうか筆者を責めたりご自分の読解力の無さを嘆いたりせず、
何度も味読できるお得な文章として楽しみましょう(^O^)。

漫☆画太郎先生がペンネームを変更されたというニュースを読みました。
漫☆画太郎改名.jpg
まん◯画太郎先生、お気持ちとてもよくわかります(^O^)


ブログのサイドバーの冒頭に老荘の境地を夢見て云々と有りますが、二十年早いような気がしてまいりました。今の生き方はギリシア時代の犬儒学派(キュニコス派)そのもののような。

禁欲を重視し、実践を重んじ、無為自然を理想とし、現実社会に対しては諦めた態度を取る、どうです、天然農園のぼくそのものじゃあないですか。

犬儒派の思想を体現したディオゲネス(BC410~BC323)のことを調べてみると、ますます惹かれます。
プラトンやアリストテレスと同じ時代、アテネ郊外の樽の中に野良犬のように起居して、その樽を転がして好きな場所に移動。「犬のディオゲネス」と呼ばれ、彼の一派を犬儒派と呼ぶ。欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことを重視。無為徒食。
以下、ネットで見つけたディオゲネスの言葉や逸話を紹介。
長いですm(__)m-------------------------------------------------------------

マケドニアのアレキサンダー大王がアテネを征服して、70歳のディオゲネスに会ったとき、寝そべったままのディオゲネスに
大王は「あなたは私が恐ろしくないのか」
ディオゲネス「お前は善人かね、それとも悪人かね」
大王「私は父から逞しく生きることを学び、師アリストテレスから善く生きることを学びました」
ディオゲネス「お前が善人だとしたら、お前を恐れる理由は無いだろう」
大王「あなたのような智者に会えて嬉しい、何かお礼をしたいが何をお望みでしょう」
ディオゲネス「儂の前に立たないでほしい。お前は儂の大きな楽しみである日差しと昼寝を奪っている」
そしてディオゲネスは大王に「お前は平和のために戦うと言うが、戦いは戦いを生むのみ。アテネはこうして滅びた。お前もいずれは滅びるだろう。平和なら此処にあるぞ。何もしないこと、それが平和じゃ」

彼は金持ちの家に招待されて「盗人、この門を入るべからず」の看板を見て「じゃあ、この家の者たちはどこから中に入ったというのじゃ」
貨幣は人間が作り出した物なのに、人間を支配している。
金持ちは奴隷を絞り上げて金を得ている。

神殿の賽銭を盗んだ男を神殿の管理役人が捕まえて連行していると、
ディオゲネス「大泥棒がこそ泥を捕まえているぞ」

地上に災いを齎すものはすべて人間の飽くなき所有欲。
愛国心も所有欲のお化け。
人間は欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人になっている。
私は真理に従って生きている。
真理こそがすべての支配者である。

プラトンの貴族主義や哲人王の考えを嫌っていたディオゲネスは、プラトンの家を訪れたとき、敷物の絨毯を踏みつけて「儂はプラトンの虚飾を踏みつけているのじゃ」
プラトンもディオゲネスを嫌っていて「狂ったソクラテス」と呼んだ。

ディオゲネスが広場で物を食べていると、
人々が「まるで犬だ」と罵ったので、
「人が物を食っているときに集まってくるお前たちこそ犬じゃないか」
と言い返した。
食べるのがおかしなことでなければ、どこで食べてもおかしなことではないと主張。

道ばたで公然と自慰をした。
「擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。こんなに良いことは他にない」
「食欲もこんなふうに簡単に満たされたらよいのに」

オリンピアで優勝した闘技士が美しい女を振り返り見る様を「偉大な闘技士が小娘に首をねじ上げられているよ」とからかった。

名声が鳴り響いていた晩年、自分の墓をつくることを許さず「儂が死んだら獣の餌食にしてもよい、そのへんに投げ捨てておいてもよい」と。

小石に躓いて転んだディオゲネスは死期を悟り、自ら息を止めて窒息死した。
---------------------------------------------------------------以上

彼の辛辣なシニックは、人を遠ざけるのにとても役立ったそうです。
見習わなくては。

意外だったのが、あの中原中也がディオゲネスを。
「秋日狂乱」より、

あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ
ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
けふびは雀も啼いてはをらぬ

「犬のディオゲネス」に肖って、
ぼくは差し詰め「猫のojioji」でしょうか(^O^)。きも過ぎ?

参考までに、シニカルcynicalは辞書には「皮肉な態度をとるさま。冷笑的。嘲笑的。ひねくれた」と載っていますが、正しくはディオゲネスの生き方、つまり「欲深い人間を嘲笑し見下した態度、人間を信用していない態度」のことです。アイロニカル(皮肉な)とは全く異なる意味です。

ブログが108回目を迎えたときには煩悩の話を書こうと決めていたのに、いつの間にやら過ぎておりましたので、ディオゲネスのことを書きました。
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にゃんズ「ぼくたちも無為にして徒食だよ。猫儒派だね」
ぼく「うーん、本能のままに生きているだけのような、ひょっとして荘子か」


それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

お年寄りや社会不適合者(儂のこと)や生活保護受給世帯よ、
天然農法で幸せな自給自足の生活を(=^ω^=)
読んでくださってありがとうございますm(__)m
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ちゅんちゅんちゅん

こんばんは!
PCやスマホを使うようになって
字を書かなくなりました。
漢字も変換機能があるので
忘れていく一方です。
恐ろしいです。
by ちゅんちゅんちゅん (2014-08-16 19:26) 

ojioji

漢字文化、滅びてほしくないです。
面倒くささよりも漢字のお蔭で豊かな精神生活を送れるありがたさのほうが勝る感。と書きつつ、手書きではめっきり書けない漢字が増えました^^;。
読み難い字面でしょうに、お越しいただきコメントまでありがとうございますm(__)m

by ojioji (2014-08-16 20:48) 

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