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堕ち滅びよ!補助金農業と驕奢飽食の時代 2014-07-26 [好きな言葉や拙見]

ブログ「いのち めぐる たんぼ」7月25日記事で重要なテーマについてブログ主様が書いていらっしゃいます。多くの方に読んでもらうために、ぼくのブログと普段の話題では読者層があまり重ならないと思うので、勝手に何箇所か紹介します。

以下、抜粋。
環境保全型農業直接支払制度をご存知でしょうか?
環境に配慮した農家を直接支援する制度。
年間16万円の補助金を皆さんが納めた大事な税金から。
来年からは農業法人のみの支援に切り替わりそう。
つまり、個人の支援はカット。
米農家は恵まれています。
甘い汁を吸い続けた5年間。
≪ラーメン店やりたい!!!≫と言って、誰が補助金くれますか?
補助金をもらう時点で『あんた弱いんだよ! 』って国から言われていると思います。
ある農家さんが【補助金=点滴】と。
5年間点滴(補助金)を打ち続けたから今があります。
甘えています。
日本の農業の何割なんでしょうね? 
点滴を打ち続けている農家は。
預金通帳が減っていく中、補助金が入るたび幸せになれました...。
甘いですね。米の業界は。
でも投資が何百万単位のお米業界(新品を買えば)、
支援が無いと新規就農者は厳しいです。
甘え続けている農業法人さんはカッコいいけど憧れない。
だって生活辛そう。生活できても、
補助金をどうもらうか考え続けなくちゃいけないから・・・。
それも大変だよ...きっと。
就農地探すときに訪ねた他県の先進的事例の農業法人を視察に行きました。視察先の農家さんが言った『いつ首をつろうか考えている』の言葉は一生忘れないと思います。
適性がなければ辞めればいいと思う。
だって生活ありきの理想だから。
借金を抱えて点滴を打ち続けるなら、
身の丈に合った生き方をしたい。

抜粋終わり。色付き文字は抜粋者にて。
真摯に気持ちを綴られてあり、賛否はさておき、胸を打たれました。
特に、都市生活者に一度、考えてほしい主題です。

もちろんぼくは、グランド・キャニオンに柵は不要という考えの持ち主なので、基本的にはすべての補助金制度に反対です。金が惜しいという理由よりも、「いのち めぐる たんぼ」様が表白されているとおりの気持ちを受給者に植え付け、また、文中で紹介されている或る視察先の農家の方のような状況に陥るからです。
事業の借金地獄と同じく、やめようにやめられなくなると思います。マイク・タイソン氏の発言「福祉は麻薬」は核心を衝いています。喩えに品が無くて大新聞では紹介されませんが、核心を衝くのに品も糞もありません!

補助金制度なぞ利用しないで、意地で続けるのは、ドン・キホーテを思わせて拍手喝采ですが、補助金・助成金に手を付けた時点で、頭を下げて回る情けない人に成り下がります。

政治家よ、早うすべての補助金制度をやめましょう。
人を寄生虫にしないでください。

公的扶助という立派過ぎる制度のお蔭で、本当に生活破綻した人は野垂れ死にしないで済むようになっています。

そもそも、Wikipediaによれば、
公的扶助の成立前には、もっぱら私的扶助が行われたり、貧困を個人の素行等の道徳的問題としてとらえる消極的な施策にとどまっていた時代があった。しかし、貧困が個人のレベルでは解決しきれない広がりと深さをもってきたことが社会の共通認識となってきたことから、国家が客観的・無差別平等に、権利としての扶助を行うという現代的な公的扶助の制度が成立した。
とありますが、文中の「社会の共通認識となってきた」というのが眉唾で、

子どもの頃、たくさんいた周囲の明治生まれの老人で、昭和二十五年に出来た生活保護法を肯定的に捉えている人はいませんでしたよ。心あるお年寄りは、以前書いたように、「因果応報じゃ。福祉は人を甘やかしてしまう」と孫に諭していました。

結局、生活保護法は貧乏人の票目当てだったのは明らかです。
今は、金持ちの年寄り票目当ての政策が目につきますが。

わが国の場合、公的扶助は、Wikipediaによれば、
申請権者の申請により、生活保護法に基づき、生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助の8種類が、単給または併給として行われる
とあります。まさに至れり尽くせり過ぎです。

これが、小泉純一郎内閣以降公言・広言^^;出来るようになった、生活保護の麻薬で、支給される現金以外もさまざまな扶助があるため、国民年金基礎年金生活者より金銭的に遥かに優遇される退廃人製造システムです。こんな甘い罠、一度掛かると抜け出せません、否、手放す筈がありません。

うーん、これはまさにファストフード店の氾濫などと同様、アメリカの意を汲んだ国策なのかも知れない。
その根拠となっている憲法(なんだ、やっぱりアメリカの意向だったのか)第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
は否定しません。
が、公的扶助で助けてもらう生活破綻者が、自家用車だのエアコンだのタクシーだの医者に掛かるだの赤ちゃんを産むだの盛大な葬祭を行うだの居住地の自由だの現金だの(項目の過不足は今は扠措き)を自由に出来てよいはずがありません。些かの不自由の中で世の情けに感謝しつつ公的扶助を受けるのが人というものです。

中学校の公民の教科書というよりも授業で、ぼくが子どもの頃は社会党とか共産党が政治の場だけで吠えていたようなことが、自明の理の如く語られている。
純真無垢な=阿呆で無知な子どもたちは、よい点を取るために一生懸命覚えて答案に書く、その過程でそれが恰も現代社会の真理だと錯覚して大人になる、そして、舛添東京都知事を例に出すまでもなく親族や身内ですら助け合えない世知辛い世の中を形成している。

私的扶助も満足にできなくなった輩が公的扶助の不足性を吠えるなぞ、ちゃんちゃらおかしい。無責任極まりない。
人権屋のことです。
訴訟で勝って賠償金を取れたとか、情けない。賠償金の出処を想像する想像力も無い人たち。
もちろん彼らには文学や映画を鑑賞する能力もありません(^O^)、ただストーリーを辿るだけ。ストーリーの路傍にきらりと光る真実には気づきもせずに。

昨日も、地元で、ある老婆が、息子たちは都市に出て自立して家庭を築いているのですが、山奥であまりに不潔なひとり暮らしを送っていたため、見かねた主治医の計らいで、遠方の老人ホームに入れられた(入れていただいた?)という話を聞きました。老婆が主治医の医院に来たときに、その老婆の家に繁殖している蚤が衣服から多数逃げ出して、医院が困ったのが始まりとのこと。
身内同士ですらこの為体テイタラク、そして、金で解決させる。
うーん、これが人権屋の考える、素晴らしき福祉社会なのでしょうか。

ぼくなら山奥で知恵を巡らせて心豊かな暮らしを死ぬまで送りたい。(孤独死、結構。迷惑をかけない通知態勢は別の話。) 薄情な息子夫婦なぞこちらから勘当してやればよかったのに。
この山奥の老婆の項、事情を正確に把握しないまま書いておりますので、ケース・スタディのフィクションとしてお読みください。

嗚呼、納めた税金の使い途を議会や役場に任せるしかないのがもどかしい。間接民主制とは不便な制度だ。有権者たる住民、特に人口の多い老人層に日々、語りかけつつ啓蒙(蒙=もの知らずで道理がわからない。啓=ひらく、伝える)に励むしかないのか。

実に久し振り(^O^)にブログに思いを綴りました。吉田兼好も、おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざと仰有っています。


昨日、鰈の煮付けの残り汁で胡瓜の煮物をつくって満足してたのですが、一晩フライパンに入れたまま今朝、食べようとしたら酸味が(;_;)、捨てるわけにはゆかぬ、ええい、乳酸発酵しかけたのだと自らに思い込ませて、皿一枚分、平らげてやりました。

昔、京都で家政婦兼慰安婦さまにつくって戴いた肉じゃがが、1日で表面に白い膜(;_;)が張ってしまい、捨てるように言われてたけど、人にも物にも申し訳なくて、根性で食べ切ったのを思い出しました。精神面から来る下痢が起きたのみで、異常無しでした。

念の為、毒消しにどぶろくを服用しておきます。

今朝の収穫たっぷり。
空芯菜や巨大茄子の姿も見えます。
DSCF0895.jpg
胡瓜は、すでに冷蔵庫は漬け物や浅漬けが詰まっており、流石に如何ともし難く、二十本余りを近所の方に貰っていただくことに。その方も胡瓜は豊作で、畑をされていない友人にあげるとのこと。

そして、トマト地獄の始まり。
DSCF0900.jpg
オレンジ色のミニトマトはお馴染みに、見た目より甘いです。
樹で完熟させた大玉トマト、もう青臭さが無いとかの文句は言わずに素直にフルーティさを享受します。
初収穫の黄色い楕円形のは調理用トマト。アミノ酸が多く含まれ、ゼリー質が少ないので、加熱調理したときに旨味があり煮崩れしにくいそうです。が、生食で充分美味かったです。

32℃程度なら活力ある暑さというか、子どもの頃の夏休みの暑さで、エアコンは要らないのですが、2階での37℃ともなると体温を超えていて、此の世に居るだけで活力は搾り取られどんどん弱っていくのを感じる、今日からブログを書くときは、1階でMacBookを使い、30℃設定(→31℃に変更)でエアコンを入れることに。
極楽です。
極楽過ぎて早めに切り上げようという意識が働かなくなります。
好きな音楽-----今日はSting、ケニー・ロジャース、宇多田ヒカル、ジンギスカン^^;・・・etc.を聴きながらブログを何時間でも弄くれます。
誰も読んでくれなくなるのじゃあないかしらん。
DSCF0851.jpg
ノルくんとみうめ「もの言えば唇寒し秋の風(芭蕉)だよ」

阿呆か、今は猛暑の夏じゃ!


それでは皆様、
あ 有難いなあ
し 幸せだなあ
た 楽しいなあ

このブログでは初の試みで、読者の皆様にアンケートを
本日は極論・暴論路線希望の方が
主にクリックしてください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 
明日、穏健・農路線希望の方が
主にクリックして戴けますでしょうか(取り止めにm(__)m)

※猫飼いの皆様とはテーマに拘らずお付き合いを

1端末から1日1回有効だそうです


以下衒学趣味の自由研究。
吉田兼好は「徒然草」第十九段で、
七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。 

と書き、ぼくも高校時代は「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ」は彼の想起かと勘違いしていましたが、
後に、白河院政期に書かれた「大鏡」第一巻 雲林院の菩提講に、
さいつころ、雲(う)林院の菩提講に詣でてはべりしかば、例人(れいひと)よりはこよなう年老い、うたてげなる翁二人、媼と行き会ひて、同じ所にゐぬめり。あはれに同じやうなるもののさまかなと見はべりしに、これらうち笑ひ、見かはして言ふやう、「年ごろ、昔の人に対面して、いかで世の中の見聞くことをも聞こえ合はせむ、このただいまの入道殿下の御ありさまをも申し合はせばやと思ふに、あはれにうれしくも会ひ申したるかな。今ぞ心やすく黄泉路もまかるべき。おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける。かかればこそ、昔の人はもの言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れはべりけめと、覚えはべり。
(大鏡の序文、三十数年振り、懐かしさに長文引用請御容赦)
とあるのを目にして、当時の常套句であったことを知りました。

もうひとつ、そのあとに続けて「もの言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れはべりけめ」とあり、イソップの「王様の耳はロバの耳」の話を大鏡の作者は誰かから聞いたのでしょうか。宣教師もいないのに(^O^) 洋の東西を問わず、同じようなことに思い至るのでしょう。

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